未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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小路を歩けばサムライが、堀を覗けばカッパがいる?

~金ヶ崎要害と城内諏訪小路重伝建地区〜

文= 松本美枝子
写真= 松本美枝子
未知の細道 No.91 |25 May 2017
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#5金ヶ崎要害から北上川を見渡せば

質素な造りの旧大沼家侍住宅

 さて金ヶ崎要害を目指してもう少し進むと、その手前にある旧大沼家侍住宅まで辿りついた。ここは復元して一般公開されている武家屋敷で、内部を自由に見学できる。当時の武士の質素な、いわゆる半士半農の生活を感じられる建物だ。

片平丁を進めば要害はもうすぐだ

 千葉さんが「大沼家の裏手の道を歩いてみましょう」と案内してくれた道「片平丁」は、うっそうとした木立の中へと続いていく。この片平丁の右手には「大庭」と呼ばれる要害の前庭だった場所があるのだ。千葉さんに促されて、茂みの中をよく見ると、武家町と殿様が住む城とをはっきりと区切るために、一段高くした土塁の跡と堀跡が築かれているのがわかる。「大庭では侍たちや馬の訓練が行われていたんですよ」と千葉さん。

奥の高くなっているところが土塁で、手前の落ち葉がたまっているところは江戸時代は堀になっていた。今後の堀の修復保存が期待されている。

 土塁に沿って片平丁を抜けると、要害の入り口、昔の「二の丸」にたどりついた。今はもう建物は残っていないが、二の丸は広々として往時を偲ばせるには十分であり、ここから北上川の雄大な流れを望むことができる。この日は雨だったけれども、晴れている時はもっといい眺めに違いない。

 そして何と言っても城の背に大きな川があることで、敵が侵入するのが容易ではないことがよくわかる地形だ。ここは守りやすく、攻めにくい天然の強固な砦なのだ。「ここは盛岡藩との藩境だったんです」と千葉さんが教えてくれた。この要害は仙台藩の北端で藩境を守る重要な拠点だったというわけだ。

 ちなみに金ヶ崎要害は、平安時代に征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征討の時に陣を敷いたという伝承も残っている。北上川中流域に位置する金ケ崎は、古代から近世に至るまで東北地方の軍事的な重要拠点の一つだったのだ。

金ヶ崎要害から北上川を望む
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未知の細道 No.91

松本美枝子

1974年茨城県生まれ。生と死、日常をテーマに写真と文章による作品を発表。
主な受賞に第15回「写真ひとつぼ展」入選、第6回「新風舎・平間至写真賞大賞」受賞。
主な展覧会に、2006年「クリテリオム68 松本美枝子」(水戸芸術館)、2009年「手で創る 森英恵と若いアーティストたち」(表参道ハナヱ・モリビル)、2010年「ヨコハマフォトフェスティバル」(横浜赤レンガ倉庫)、2013年「影像2013」(世田谷美術館市民ギャラリー)、2014年中房総国際芸術祭「いちはら×アートミックス」(千葉県)、「原点を、永遠に。」(東京都写真美術館)など。
最新刊に鳥取藝住祭2014公式写真集『船と船の間を歩く』(鳥取県)、その他主な書籍に写真詩集『生きる』(共著・谷川俊太郎、ナナロク社)、写真集『生あたたかい言葉で』(新風舎)がある。
パブリックコレクション:清里フォトアートミュージアム
作家ウェブサイト:www.miekomatsumoto.com

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。