さて金ヶ崎要害を目指してもう少し進むと、その手前にある旧大沼家侍住宅まで辿りついた。ここは復元して一般公開されている武家屋敷で、内部を自由に見学できる。当時の武士の質素な、いわゆる半士半農の生活を感じられる建物だ。
千葉さんが「大沼家の裏手の道を歩いてみましょう」と案内してくれた道「片平丁」は、うっそうとした木立の中へと続いていく。この片平丁の右手には「大庭」と呼ばれる要害の前庭だった場所があるのだ。千葉さんに促されて、茂みの中をよく見ると、武家町と殿様が住む城とをはっきりと区切るために、一段高くした土塁の跡と堀跡が築かれているのがわかる。「大庭では侍たちや馬の訓練が行われていたんですよ」と千葉さん。
土塁に沿って片平丁を抜けると、要害の入り口、昔の「二の丸」にたどりついた。今はもう建物は残っていないが、二の丸は広々として往時を偲ばせるには十分であり、ここから北上川の雄大な流れを望むことができる。この日は雨だったけれども、晴れている時はもっといい眺めに違いない。
そして何と言っても城の背に大きな川があることで、敵が侵入するのが容易ではないことがよくわかる地形だ。ここは守りやすく、攻めにくい天然の強固な砦なのだ。「ここは盛岡藩との藩境だったんです」と千葉さんが教えてくれた。この要害は仙台藩の北端で藩境を守る重要な拠点だったというわけだ。
ちなみに金ヶ崎要害は、平安時代に征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征討の時に陣を敷いたという伝承も残っている。北上川中流域に位置する金ケ崎は、古代から近世に至るまで東北地方の軍事的な重要拠点の一つだったのだ。
松本美枝子