塙さんが見つけたもう一つのポイントが、谷をさらに降りた数沢川の源流にあるというので、移動することにした。
長靴を履いてきてよかった……、と心の中で思いながら、きれいな沢の中に入ると、巨大な岩がいくつもある。水が流れる岩の表面を塙さんが指差すと、白いポツポツした点がいくつも見える。これは海綿の化石だ! 海綿類はカンブリア紀にはすでに誕生し、現代もなお水中に生息するスポンジ状の生き物だが、化石ではその穴の部分が点状になって残り、現代の我々の前にその姿を表す。
「うん、これは確かに5億年前の石です。ここは次の9月の学会で発表しましょう」と田切先生はにっこりしながら塙さんに言って、おもむろにノートを取り出し、熱心に何かを書き付け始めた。新しい論文のためのメモとなるのに違いない!
塙さんもうれしそうだ。よくこんなところを見つけましたね、と私が塙さんに言うと、「カンだよね! 長いこと、この辺を歩いているからね」と言って笑っていた。
沢を確認した後は、最初の登山道まで戻り、さらにその上にある高い地点の地層を確認しに行くことになった。結構急な山道を登っていく。歩きながら田切先生はこのあたりは何度歩いたか分からないくらい、調査してきた、という。たどりついたその場所は、巨石がゴロゴロと山肌からむき出しになり、その上に木が生い茂っていた。
この場所は化石の谷からは少し距離があるのだが、化石の谷のものと同じような岩が出るのだという。おそらく5億年前は同じ場所として繋がっていた岩の連なりが、造山活動の中で何かの作用が加わり、山の上と下へと別れてしまったのだろう、と田切先生は考えている。
こうして書くと簡単だが、それには途方もない、大きな力と長い年月がかかっているのだ。それを思うと、私はついため息がでてしまうのであった。
そんな話を私に説明しながら、田切先生はどんどん藪をくぐっては急斜面にへばりつき、岩をチェックしては、ハンマーで割ってサンプルを取り出していく。
その姿を見て私は思わず「先生、まさに道無き道をゆくですね」と声をかけた。すると田切先生はニッコリ笑ってこちらを見て、こう言ったのだった。
「違いますよ、《石があるところ》に、行くんです」
松本美枝子