およそ5億年前のこと、この日立の地層は、ゴンドワナ超大陸のなかの、現在の中国大陸となるあたりの火山地帯だった、と田切先生は考えている。日立カンブリア紀層が火山岩からなるのは、そのためである。やがて超大陸は移動と分裂を繰り返し、9000万年前には現在の世界地図に近い状態が作られた。しかし日立カンブリア紀層は中国東北部にあった。
だが、やがて何かのきっかけで、2000万年前ごろから日本海ができ始めた。一つの山地であった現在の中国東北部と日本列島は、日本海の拡大によって徐々に離れていき、1450万年前には、ほぼ現在の位置へと移動した。地面の動きは、まるでドアを押し開けるように、北と南に分かれて動いた。その境となったのが、日立市の西隣の茨城県常陸太田市から福島県棚倉町にかけて、南北約60キロに伸びる棚倉断層だ。
日本列島の構造に重要な役割を持つとされるこの断層を境にして、日本の地質は全く違うのだ、と田切先生は教えてくれた。断層の東側が古く、西側が新しい。つまり日本で一番古い地層がある多賀山地は、中国の縁にあったカンブリア紀の地層が、日本の東側、つまり今の日立がある場所へと押し出されてできあがったものなのだ。
田切先生から、この壮大な地球の歴史を聞いていると、今ニュースでよく流れている、国と国の領土問題、つまりは人間の歴史など、なんだか、どうでもよくなってくる気がする。だって、今だって日本列島はちょっとずつ、動いているのだ。この前の地震みたいに、それがいつもよりうんとたくさん動いてしまうことも、時にはあるけれど! 1億年後の世界地図は、きっと今とは全然違うものになっているはずだ。
田切先生にそう言うと、先生は「そうですねえ、時代は地球規模の歴史として、長く捉えることが必要です。それに古いことを解き明かすことは、未来がどうなるかを知ることにつながりますからね」と笑って返してくれた。
60k㎡におよぶ古い岩の連なり、日立のカンブリア紀地層。この地球の広さに比べたら、それはほんのわずかな面積かもしれない。それでも、よくぞここまで5億年も旅してきたなあ、とかみね公園の露頭を見ながら、つい地層に「おつかれさま」と声をかけたくなるのであった。
松本美枝子