それでは次の地層を見に行きましょう! と案内されて向かった先は、日立の「大煙突」の麓だった。大正3年、日立鉱山からでる煙害を防ぐために作ったこの大煙突は、当時世界一の高さを誇った。平成5年に一部を残して倒壊したものの、今でも日立のシンボルだ。
実はこれも、5億年前の花崗岩の上に建てられている。もちろん大正当時は、それが5億年前の石などとはわからなかっただろうが、この岩石が頑丈であり、その上に高い煙突を立てるのが安全であることが、昔の人はわかっていたのであろうか? そう尋ねると、田切先生は頷いた。
この麓にはJX日鉱日石金属の駐車場があり、そのそばでも地層の露頭を見ることができる。
「ここの露頭は《不整合》なんですよ」と田切先生はいう。
はて、不整合とはなんだろう?
「不整合とは、大きな時間の空白があって、ある面を境にして地層の重なり方が不連続になっていることを指す、地質学では重要な言葉です」
不整合によって、大地がどう動いたのか、造山運動のしくみがわかるというのだ。ここでは古い地層は上に、新しい地層が下になっており、全体が逆転している。
田切先生は、この他にも冒頭の御岩神社や玉簾の滝の露頭など、ドライブしながら地層を確認できる場所を案内してくれた。
こうして5億年前の地層を見て歩くと、最初は全て同じに見えた露頭も、なんとなく自分なりに見分けがつくようになってきた。しかし私のような素人が楽しめるのは、田切先生の専門的なガイドがあるからこそだ。この楽しさを誰もが享受することはできないのだろうか、と先生に尋ねてみると、日立市郷土博物館では田切先生のガイドによる地層の団体見学の申し込みを随時受け付けているとのこと。また茨城県北地域を中心とする「茨城県北ジオパーク」では、認定をうけたガイドによる地層見学ツアーも開催しているという。
地質学は専門的な言葉が多くて、ちょっと難しいと思われるかもしれないが、百聞は一見にしかず。そして詳しいガイドがあれば、地層見学はますます楽しい経験となるに違いない。
次は、地層ではなく「日鉱記念館」。日立鉱山の跡地に建てられた日鉱記念館では、銅山の発展を示す歴史資料、鉱山の模型、実際の機械などとともに、採掘された鉱物もたくさん展示されていた。
鉱物を見ながら「日立の銅はカンブリア紀の地層から出ているんですよ」と田切先生が教えてくれた。2014年には5億3千万年前の銅が発見されており、これは「日本最古の鉱石」であるという。
これによって、日立銅山と街の発展が5億年前の地層に支えられたものだということが改めて裏付けられたのであった 。
田切先生は石にまつわる興味深い話をしてくれた。御岩神社や大甕神社など、日立には古くから信仰の対象となり、現在も全国から参詣者が訪れる神社があるが、それらの御神体や石像には、みな5億年前の石が使われているのだという。
人は石に何かを感じとるのだろうか。信仰と5億年の石の、不思議な結びつきだ。とにもかくにも、日立の人々の暮らしは、ずっと昔から5億年前の地層の上になりたってきたのだろう。
こうしてさまざまなカンブリア紀の地層を巡る1日は終わった。
松本美枝子