未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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日本列島の歴史は日立の地面から始まった?!

カンブリア紀地層の5億年の旅を解き明かす

文= 松本美枝子
写真= 松本美枝子、田切美智雄 (一部提供)
未知の細道 No.61 |20 February 2016
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#2地質学者のマザーフィールド「日立」

地質学者の田切美智雄茨城大学名誉教授。

冬のある朝、日立市郷土博物館へと訪れると、田切先生は、にこやかに私を出迎えてくれた。ここは日立に関わる考古、歴史、民俗、美術などの資料を保存、研究し、展示する博物館だ。特に日本有数の銅山と共に科学技術の町として発展してきた日立市の歴史資料には、みどころが多い。
茨城大学の名誉教授である田切先生は、ここの特別専門員として、この地域の地質、特に日立のカンブリア紀の地層の研究をしているのだ。

「研究者の用語で《マザーフィールド》という言葉があります」
博物館の奥の部屋で、先生はまず、こう口火を切った。
マザーフィールドとは「自分を育ててくれた場所」であり、つまり学者にとって、その研究のテーマとなる場所のことだ。

田切先生は昭和20年、茨城県日立市本山に生まれた。本山といえば、今では知る人も少なくなったが、日立鉱山がある山の中に忽然と現れ、当時先端の文化を誇った鉱山の町であった。日本の産業史に燦然と輝く大銅山、日立鉱山。その繁栄と共に本山の町は発展し、往時は1万人以上もの人々が住んでいた。鉱山で働く人々のために、当時最新の五階建ての鉄筋アパートと商店街が立ち並び、さらには劇場、プールなどもあったという山の町には、レベルの高い教育と文化が存在したのだと田切先生はいう。だが鉱山を閉じた今は、人気のない静かな山へと戻り、今、その繁栄を偲ぶ手がかりは、わずかな町の遺構と歴史資料の中にしかない。

地中の鉱物を採掘する鉱山の開発にとって「地質学」という学問は、切っても切り離せないものだ。一流の技術者が多くいたという鉱山の街・日立市は、同時に地質学のメッカでもあり、本山の採掘場で遊び、石と山に囲まれて育った少年が、地質に興味を持つようになるのは自然なことであった。
やがて田切少年は地質学を学ぶようになり、東北大学大学院を卒業して「たまたまちょうど空いていた」という茨城大学理学部に赴任したのであった。以来、田切先生は茨城大学で日立の地質の研究を続け、茨城大学副学長となり、退官後に縁あってこの故郷の博物館へと戻ってきたのであった。

地質学はフィールドワークが欠かせない学問だが、田切先生にとって、生まれ育った日立の山と町が、そのまま一生続く研究の場所となったわけだ。それは研究者としてラッキなーことですよね、と私が問うと、先生は頷いた。

今は静かな本山の町の跡。
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未知の細道 No.61

松本美枝子

1974年茨城県生まれ。生と死、日常をテーマに写真と文章による作品を発表。
主な受賞に第15回「写真ひとつぼ展」入選、第6回「新風舎・平間至写真賞大賞」受賞。
主な展覧会に、2006年「クリテリオム68 松本美枝子」(水戸芸術館)、2009年「手で創る 森英恵と若いアーティストたち」(表参道ハナヱ・モリビル)、2010年「ヨコハマフォトフェスティバル」(横浜赤レンガ倉庫)、2013年「影像2013」(世田谷美術館市民ギャラリー)、2014年中房総国際芸術祭「いちはら×アートミックス」(千葉県)、「原点を、永遠に。」(東京都写真美術館)など。
最新刊に鳥取藝住祭2014公式写真集『船と船の間を歩く』(鳥取県)、その他主な書籍に写真詩集『生きる』(共著・谷川俊太郎、ナナロク社)、写真集『生あたたかい言葉で』(新風舎)がある。
パブリックコレクション:清里フォトアートミュージアム
作家ウェブサイト:www.miekomatsumoto.com

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。