さて茨城に戻った田切青年の研究では、28歳の時に書き上げた博士論文のとおり、3億5千万年前の石炭紀の地層が日立市内に広がっているというところまではわかっていた。
しかし、どうやらもっと古いかもしれない地層が存在することも、実は田切先生は分かっていた。しかしその年代を特定することが、なかなかできないでいたのだった。
地層の年代は化石や鉱石で年代を決める。日立からはかなり古い時代のものであろう溶岩の変成岩(既存の岩石が変成作用を受けた岩石のこと。熱や圧力、化学変化などの作用がある)や花崗岩、石灰岩が出るのだが、なかなか化石が出ない。溶岩とはつまりマグマである。火山活動があった場所で生物の手がかりを見つけるのは、かなり難しい。年代を決める方法がなく、肝心のことがわからないまま、あっという間に40年近くの月日が流れていた。
しかし1990年代になって、質量分析機(超微量成分を分析する機械のこと)が世界的な競争によって急速に進歩した。これは石の中にあるジルコンという鉱物を測定することで年代がわかる、いわゆる放射年代測定法を利用している。
そこでおそらく古いには違いないのだが、どうしても年代を特定できなかった日立市小木津の花崗岩を測定したところ、なんとこれが4億9千万年前のカンブリア紀地層であることがわかったのだった。2003年のことであった。
石炭紀から、さらにその前のデボン紀、シルル紀、オルドビス紀という3つの時代をやすやすと飛び越えて、日立にカンブリア紀の地層が見つかったということは、日本列島の歴史のなかで、一気に1億4千万年の歳月が埋まった瞬間だった。
これは田切先生が今まで書いた論文が全部ひっくり返るような大発見であり、先生は嬉しさより、まず驚きが先にきたという。「これは困ったなあ……でも、とにかく全部研究をやり直すしかない! って思いましたけどね」と田切先生は笑って話してくれた。
この発見は2008年に最初に学会で報告された。この後の研究で、さらに古い5億年以上前の地層も発見され、日本最古のカンブリア紀の地層が、日立市の広い範囲に連なっていることが証明されたのであった。
松本美枝子