結婚して間もない阿左美さんは、迷った。JR東日本の仕事は安定しているし、氷屋になったらゼロから仕事を覚える必要がある。それまで培ってきた営繕のスキルが活かせなくなるのはもったいないと思った。
それでも実家に戻ることに決めたのは、「使命感があったのかもしれません」。
秩父に戻るかどうか逡巡していた時、子どもの頃を思い出した。小学生の時、祖父が何度も製氷池に連れて行ってくれたこと。習字教室を開いていた祖母のもとに通っていた時、夏になると自分と友人に丼に入れた天然氷のかき氷を出してくれたこと。そのかき氷の味が、お祭りで食べるかき氷と違ったこと。
「この仕事って、新規参入が難しいんですよね。僕が継がなかったら、うちの氷屋が途絶えちゃう。だから、ダメもとっていうわけじゃないけど、自分の代ぐらいやってみようかなと思いました。もしかしたら、子どもの頃から潜在意識として、ゆくゆくは、という思いがあったのかもしれません」
2005年、30歳の時、阿左美冷蔵に入社。まずは1年間、哲夫さんのもとで仕事を覚えた。その時、「こ、これは……」と驚いたのは、哲夫さんが製氷からシロップ作りまで、ほぼすべての仕事を手作業でやっていたことだ。
工業科出身で、社会人として事業を持続可能にするための効率化、省力化の大切さを学んできた阿左美さんは、機械化できるところはスピーディーに機械化を進めた。シロップを手で混ぜていたところにハンドミキサーを導入するというレベルからの見直しだった。
また、それまで冬になるとお客さんの足が遠のくため冬季休業に入っていたが、かき氷に加えてコーヒーやあんみつを出して喫茶店の要素を加えることで、冬の営業をスタート。この頃から、季節に合わせたシロップを開発するようになった。
未知の細道の旅に出かけよう!
冬にしか出会えない、寒さを忘れるかき氷