未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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戦国時代から氷を作る阿左美冷蔵の心意気 冬にしか出会えない、寒さを忘れるかき氷

文= 川内イオ
写真= 川内イオ、ファム フォン タオ
未知の細道 No.278 |10 April 2025
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#3戦国時代に始まった氷との関係

真冬の雪国に来たような景色のなか、かき氷の取材に向かった。(撮影:ファム フォン タオ)

阿左美冷蔵は金崎本店と寶登山道店の2店舗あり、今回は西武秩父駅から車で30分ほど、国道140号線沿いにある本店に向かった。

阿左美冷蔵6代目、阿左美幸成さん。取材が終わった頃には晴れ上がっていた。

取材開始は、開店時間と同じ10時。少し早く着いたので車のなかで待機していたら阿左美さんが車まで来てくれて、ご挨拶。「すごい雪なので、今日は臨時休業にしました」ということで、期せずして誰もいないお店のなかでゆっくりお話を聞くことができた。

アンティークカフェのような雰囲気の店内。(撮影:ファム フォン タオ)

まず、阿左美冷蔵の歴史について話を聞く。天然氷の蔵元としての創業は1890年(明治23年)ながら、実はもっとずっと前から秩父と縁が深かったという。戦国時代、関東を中心に秩父や隣接するエリアも治めていたのが、北条氏。秩父にほど近い鉢形城(埼玉県寄居町)の城主、北条氏邦のもとで仕えていたのが阿左美氏だ。

しかし、北条氏が豊臣秀吉に敗れ、鉢形城も陥落。その後、阿左美氏は農村に土着した武士である郷士として、地元に残った。今も秩父郡皆野町には江戸時代の居館跡「阿左美氏館」が遺されている。

「北条氏が破れた時に、本家の阿左美さんが一族のものに言ったらしいんですよね。『これからは、世のためになるようなことをして生きていかねばなりません』と。その当時、阿左美家が手掛けていた事業が氷屋、養蚕、脱穀したりするための水車の3つでした。それで氷屋を受け継いだうちのご先祖様には、農家や普通の家の人が休んでいる冬の間に精を出して氷を作り、ほかの人が百姓仕事で忙しくなる夏、みんなの役に立つことをしなさいと言ったと伝えられています」

なんと、阿左美家は戦国時代から秩父で氷を作っていたのだ。筋金入りの氷屋さん! ところで、「みんなの役に立つこと」ってなんだろう?

店内で流す音楽は、5代目の阿左美哲男さんのセレクト。

未知の細道のに出かけよう!

こんな旅プランはいかが?

冬にしか出会えない、寒さを忘れるかき氷

最寄りのICから【E17】関越自動車道「花園IC」を下車
1日目
ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン一つ星で、参拝客が年間100万を超える宝登山神社で参拝。秩父鉄道の長瀞駅から出ているロープウェイで、宝登山ハイキング。下山後、阿左美冷蔵でかき氷を食べて、疲れを癒す。
宝登山神社
宝登山ロープウェイ
阿左美冷蔵
2日目
和船で荒川を下る「川下り」を体験。3社が運航しており、こたつを備えた船もあり、寒い日でも安心。帰りに阿左美冷蔵に寄り、前日と違う味を楽しむ。

※本プランは当サイトが運営するプランではありません。実際のお出かけの際には各訪問先にお問い合わせの上お出かけください。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。