「なんとか細々とやってきた」という阿左美冷蔵も、電気冷凍庫、製氷機の普及によってどんどん苦しくなっていった。阿左美さんの父、哲夫さんが大手企業の営業マンを辞めて5代目に就いた時には、地域の飲食店が「昔からのお付き合い」で氷を買ってくれている程度だったという。
この苦境を脱するために、哲夫さんがかき氷専門店を始めたのが1992年。建物の縁側に5席、庭に2席、計7席の小さなお店で、当時高校生だった阿左美さんが「今日、お客さん何人きたの?」と尋ねると、「ふたりだよ」「来なかったよ」という日が続いた。それでも、創業102年目に始めた飲食業は、哲夫さんに氷の卸業とは違うやりがいをもたらした。
「親父も面白いことが好きなんで、初めてのお客さんでも話して気が合うと庭でいきなり焼肉を始めたり、みんなでお酒を飲んじゃったりしてね(笑)。自由な感じで、お客さんと一緒になって楽しんでいました」
哲夫さんは氷屋としてかき氷の味にもこだわり、当時珍しかった無添加、天然素材の自家製シロップを何種類も考案。すると、徐々に「秩父に面白いかき氷屋がある」と口コミで広まり、少しずつお客さんが増え始めた。
人気店への最後の一押しは、オープンから数年経った頃、全日空の機内誌『翼の王国』に取り上げられたこと。それを機に新聞、雑誌、テレビから一気に取材の依頼が増え、お客さんが押し寄せるようになった。
一方、「氷屋はなくなると思ってた」という阿左美さんは、1994年に工業高校の建設科を出て、東京電力に入社。建物の新築、増改築、修繕など「営繕」を行う部署で働いた。その後、JR東日本に転職して、前職と同じく、駅のプラットホームや駅舎、変電所などのメンテナンスの設計をしていた。
哲夫さんから、「お客さんが増えてきて大変だから、戻ってきたらどうか」と言われたのは、29歳の時だった。
未知の細道の旅に出かけよう!
冬にしか出会えない、寒さを忘れるかき氷