未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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戦国時代から氷を作る阿左美冷蔵の心意気 冬にしか出会えない、寒さを忘れるかき氷

文= 川内イオ
写真= 川内イオ、ファム フォン タオ
未知の細道 No.278 |10 April 2025
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#5秩父の「面白いかき氷屋さん」

曾祖父の自宅をリノベーションした本館。

「なんとか細々とやってきた」という阿左美冷蔵も、電気冷凍庫、製氷機の普及によってどんどん苦しくなっていった。阿左美さんの父、哲夫さんが大手企業の営業マンを辞めて5代目に就いた時には、地域の飲食店が「昔からのお付き合い」で氷を買ってくれている程度だったという。

この苦境を脱するために、哲夫さんがかき氷専門店を始めたのが1992年。建物の縁側に5席、庭に2席、計7席の小さなお店で、当時高校生だった阿左美さんが「今日、お客さん何人きたの?」と尋ねると、「ふたりだよ」「来なかったよ」という日が続いた。それでも、創業102年目に始めた飲食業は、哲夫さんに氷の卸業とは違うやりがいをもたらした。

本館の入り口。

「親父も面白いことが好きなんで、初めてのお客さんでも話して気が合うと庭でいきなり焼肉を始めたり、みんなでお酒を飲んじゃったりしてね(笑)。自由な感じで、お客さんと一緒になって楽しんでいました」

哲夫さんは氷屋としてかき氷の味にもこだわり、当時珍しかった無添加、天然素材の自家製シロップを何種類も考案。すると、徐々に「秩父に面白いかき氷屋がある」と口コミで広まり、少しずつお客さんが増え始めた。

人気店への最後の一押しは、オープンから数年経った頃、全日空の機内誌『翼の王国』に取り上げられたこと。それを機に新聞、雑誌、テレビから一気に取材の依頼が増え、お客さんが押し寄せるようになった。

一方、「氷屋はなくなると思ってた」という阿左美さんは、1994年に工業高校の建設科を出て、東京電力に入社。建物の新築、増改築、修繕など「営繕」を行う部署で働いた。その後、JR東日本に転職して、前職と同じく、駅のプラットホームや駅舎、変電所などのメンテナンスの設計をしていた。

哲夫さんから、「お客さんが増えてきて大変だから、戻ってきたらどうか」と言われたのは、29歳の時だった。

  • 阿左美冷蔵の庭に置かれたカエルの像。(撮影:ファム フォン タオ)
  • 阿左美冷蔵の敷地内には本館のほかにも建物があり、そこでかき氷を食べることができる。(撮影:ファム フォン タオ)

未知の細道のに出かけよう!

こんな旅プランはいかが?

冬にしか出会えない、寒さを忘れるかき氷

最寄りのICから【E17】関越自動車道「花園IC」を下車
1日目
ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン一つ星で、参拝客が年間100万を超える宝登山神社で参拝。秩父鉄道の長瀞駅から出ているロープウェイで、宝登山ハイキング。下山後、阿左美冷蔵でかき氷を食べて、疲れを癒す。
宝登山神社
宝登山ロープウェイ
阿左美冷蔵
2日目
和船で荒川を下る「川下り」を体験。3社が運航しており、こたつを備えた船もあり、寒い日でも安心。帰りに阿左美冷蔵に寄り、前日と違う味を楽しむ。

※本プランは当サイトが運営するプランではありません。実際のお出かけの際には各訪問先にお問い合わせの上お出かけください。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。