ふたりが東京から八ヶ岳に引っ越してきたのは、ドイツから帰国した翌年の1983年。理由を聞くと、ふたりは「ここには、なにもなかったからねえ」と顔を見合わせた。
「僕らの作品は、自然をテーマにしたものが多かったんですよね。東京では四季が感じにくくてアイディアが浮かばないし、なにより実際に身体で感じ取った自然を絵の世界観に落とし込みたかったんです」
移住先になった八ヶ岳は、ふたりの新婚旅行先でもあった思い出の場所だ。寒さはあるが空気がおいしく湿度も低い。清々しい雰囲気が、もうひとつの思い出の地・ドイツを思い起こさせた。40年前の八ヶ岳は今より人口も少ない静かな環境で、ふたりにとっては「隠れ家」のような場所だったという。
だから、絵本専門の図書館「えほん村」を作った時にも、人が訪れる場所になるとは想像もしていなかったと語る。むしろ、自分たちが静かに絵を描くために“人と離れようとした”結果が、このえほん村の始まりだったと雅子さんが教えてくれた。
「最初はね、近所の保育園に絵本がぜんぜん置いていないと知って、我が家で読み聞かせをしていたんです。私たちも絵本の新作を試したり、子どもたちからアイディアをいただいたりして。でも、そのうちに家がいつも賑わって絵が描けない状態になっちゃった。だから、家にあった絵本と子どもたちを別の場所に移したんです」
25坪ほどの小さな小屋を建てて絵本を並べてみると、子どもたちが勝手に絵本を読みに来るように。中廊下でつながった別の部屋にはお歳暮で届いたコーヒーやジュースなどを置いて保護者がお茶できるようにもし、「図書館えほん村」として開館したのが始まりだ。
「周りは林と森だらけでしょう。知り合いから『森のなかの図書館、本を読みに来るのはクマですか、ウサギですか』と言われるほどの場所でしたよ。私たち自身だって、こんなところに人は来ないだろうと思っていたんです」
それでも、地元の人々にとっては温かな憩いの場だったに違いない。ある時はカウンターにたんぽぽが並べられていたり、ある時は野菜や漬物が置かれていたりするようになった。当初は無償で開かれた場所だったが、「ここで働きたい」という人が現れたのをきっかけに入場料をもらって本格的に運営することに。もとの場所が手狭になり、1987年に今の広い敷地に移転。名称もシンプルに「えほん村」とした。
「誰も来ないだろう」と言われていたえほん村に、今では年間1万人以上が訪れ、海外からのツアー客なども受け入れている。特に春から夏にかけて、多い時には1日に150人もやってきて、庭まで子どもたちでいっぱいになると、ふたりは嬉しそうに話した。
未知の細道の旅に出かけよう!
八ヶ岳の「こどものこころ」を訪ねて
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