2022年からの3年で、市内の学校を回ってベーゴマを教えた子の数は約9000人。井出さんによると、そのうちのだいたい1%が、加藤さんや大竹さんのような郷土資料館の「いつメン(いつものメンバー)」になる。現在はそれが100人まで増え、井出さんが出勤する週末にやってくる。付き添いの親たちのなかにもベーゴマにはまる人たちが増えている。
「去年(2023年)の夏に近所の神社で夏祭りがあって、中島さんがベーゴマのイベントをやっていました。そこで息子が興味を持って資料館に通うようになりました。僕も息子と一緒に始めたら、まず息子に負けたくなくてハマりました(笑)。今では毎日晩酌しながらヤスリでベーゴマを削っています。妻も、ベーゴマのデコレーションをするようになりました」(板場さん)
郷土資料館のいつメンのうちの何割かは、中島名人のベーゴマ教室にも顔を出す。教室では1時間に一度のペースで希望者を募って大会が開催され、優勝者には中島名人セレクトの特別なベーゴマが授与される。優勝者の栄誉とベーゴマが目当てで、毎回50人を超える子どもが集まるのだ。
井出&中島コンビの人気ぶりは、集客力で証明されている。2024年7月、イオンモール川口でベーゴマのイベントを開いたところ、延べ1000人を超える人が集まった。これはイオン側も想定外の数だったため、11月に開催した時は告知を控えたにもかかわらず、700人が参加した。このブームに乗って、日三鋳造所の売り上げも伸びている。
「移転前は、売店にベーゴマを買いに来る人は1週間に3、4人でした。今は毎日4、5人で、多い日は10人を超えます。イオンモール川口のなかにある駄菓子屋さんでもベーゴマを置いてもらうようになって、この2カ月で1箱30個入りのベーゴマを4回納品に行きました」(中島名人)
令和のベーゴマブームは、人知れず消えかけていた産業の火をつなぐ可能性も出てきた。現代の鋳物産業はほとんどが電気炉で鉄を溶かしており、川口市の象徴とも言われる昔ながらの溶解炉「キューポラ」は、5本しか稼働していない。電気炉は大量の鉄を溶かすために使うため、ベーゴマを造るには採算が合わず、ベーゴマ製造はキューポラ頼み。そのキューポラをメンテナンスするのに不可欠の「かき屋」という職人が、市内にひとりしかいないのだ。ベーゴマブームは、この危機的状況を脱する追い風になり得る。
「日三鋳造所が儲かると、キューポラが続く。キューポラが続くってことは、かき屋さんの後を継ぐ人が出てくるかもしれない。そうなれば、ベーゴマという文化も続く。小さな郷土資料館がベーゴマで町おこしを仕掛けられたら、こんな痛快なことはないですよね!」(井出さん)