家業を継ぐという提案は、両親にとって寝耳に水。「もう少しよく考えろ」という返答で、そこから半年間ほどは検討する姿勢は取っていたものの、大森さんの決意がぶれることはなかった。
「将来のビジョンが見えていたわけではないんです。まずは栽培に入ってみて、できることをやってみたいという感じでした」
それまで、夏休みの手伝いくらいでしか家業に携わってこなかった大森さん。家業を継ぐと戻ってきた時が、本格的な農業のスタートだった。ところが翌年、いきなり大きな事件に見舞われた。畑の麻が全滅したのだ。
「ピンポン玉くらいの雹が降ってきて、たったの5分。葉の部分が全部落ちて、茎の部分だけがつまようじみたいにツンツンと畑から飛び出ていました。用水路が雹で詰まって水が溢れて、冷気で足元が白くなっていたのを覚えてますよ。うちのおばあちゃんが生きてるうちでは、一度もそんなことなかったって言ってましたね」
何十年に一度の悪天候を前に、大森さんの頭に浮かんだ言葉は「人事を尽くして天命を待つ」。
「そのときですかね。人間は“生きている”というより“生かされている”っていう感覚になって。地球や自然の一部だからこそ、選べないことや限界があるっていうのを一瞬で気付かされました」
全滅した畑を前に、大森さん親子は落ち込んでばかりもいられなかった。その年は家族それぞれが別の仕事を見つけ、大森さんも農協でのアルバイトをしながら食いつないだ。もともと自分で育てた素材を使ってものづくりがしたいと考えていた大森さんだが、この経験から「廃棄している素材でも」という要素が加わる。
「常にいい素材ばっかりが取れるとは限らないんだ、と。だから、今は売り物になっていないものも、なにか形に変えていかなきゃいけないと考えるようになりました」