仕事は忙しくも楽しいものだった、と大森さんは振り返る。依頼された「アンモナイト」「大きな岩」「錆びついた鉄の扉」などの作品を、納期までに作っていく。素材の指定は特になく、依頼された内容に合わせて担当者自らが素材選びから試行錯誤していくスタイルだった。
「この世には『アンモナイト色』のペンキなんてないんですよね。いろいろなペンキを調合したり薄めてみたりしながら試すんですけど、やりすぎると耐用年数などにも影響が出てしまう。メーカーの人に問い合わせても、そんな使われ方は想定していなくて。とにかく自分で研究するしかなかったんです」
この環境で、大森さんはより“素材”について考えるようになっていった。ただ、短期間で次々と作品を生み出し続けなければいけない環境で、素材にしっかりと向き合うことができないままに毎日が進んでいく。そのことが、少しずつ消化不良のように大森さんのなかに残っていった。
また当時、「シックハウス症候群」などを引き起こす化学物質が建材に含まれることが話題になっていた。同僚が運搬時に体調不良に襲われることもあったという。公園の遊具などを手がけていた大森さんにとって、たとえ安全性を謳われる素材でも自身で確認し切れない状況に不安がつきまとった。
ちゃんと安心できる、自分の手で生み出した素材でものづくりがしたい。そう考えていたときに頭をよぎったのが、小さい頃からすぐそばにあった「麻」だった。