大森さんが応募したのは株式会社倉本環境美術という会社の仕事で、栃木市から委託された「栃木市版ねぶた祭り」の手伝いとして、ねぶたの制作に携わった。
「針金で形を作ったり、和紙を貼っていったり。作業自体も楽しかったですし、会社の業務内容を聞いてみたら、とても魅力的だったんです」
その会社では、水族館や博物館、アミューズメントパークなどの展示として、アンモナイトや恐竜の骨のレプリカ制作を請け負っていた。ほかにも、縄文時代の集落跡の修復、竪穴式住居の展示も制作。トンネルを模した会場内を、作った土器の破片で飾るようなこともしていた。
「土器好きからしたら、もうたまらない。そんなことが仕事になるんだ!と思いました。アルバイトの時に働きたいと伝えて、そのまま就職が決まったような感じで」
一方で、家業である麻農家の状況はあまり意識することがなかったという。当時は仲買人を通しての取引のみで、麻がなにに使われているのかハッキリと把握することも難しかった。両親から「好きなことを」と言われていたこともあり、大森さんは高校卒業後の春、すぐに就職。取ったばかりの運転免許をひっさげて、トラックで日本中を駆け回る生活が始まった。