「子どものときは、しょっちゅう近所の人に怒られてたんです。『畑荒らしだ』って」
畑荒らしという物騒な言葉とは程遠そうな、穏やかな雰囲気の大森さん。怒られていた理由は「熱心な土器集め」にあったと話す。
「この辺りには土器の破片や矢尻が落ちていたり、昔の釜戸の跡があったりしてね。学校帰りに土器の破片を見つけて拾い始めると夢中になっちゃって、気づくと畑の中に入って怒られてました。土器って模様もすごく面白いし、なんでこんな形になったんだろうと考えるのも楽しかった」
拾い集めた破片をつなぎ合わせて、遠い昔に器を使っていた人たちの生活を想像する。それが大森さんの幼少期の過ごし方だった。
小学校6年生のときには、近所の陶芸教室でおじいさんやおばあさんに混じって陶芸を学びはじめた。もともと物を作ることが好きだった大森さんは、陶芸に大ハマり。自宅の庭にろくろを置いて「プチ陶芸所」まで作り、制作に励んだ。どんなものを作っていたんですかと尋ねると、即答で「土器です」と返ってきた。
「模様や形が、本当に不思議なんですよね。似たような模様をつけるために、木に麻紐を巻いたオリジナルの道具を作ったりもしました」
その後、ものづくりを学ぶことができる作新学院高等学校の美術デザイン科に進んだ大森さんは、陶芸部に所属。高校に進学しても、土器づくりを続けた。
ただ、土器ばかりを作っていたわけではない。有名なデザイナーが講師でやってくることもあった先進的なものづくりの学校で、さまざまな素材から作品をつくる機会に恵まれた。陶芸部の活動として、陶板と呼ばれるタイルを作って壁を装飾することもあった。
「絵を描くのも好きだったのですが、やはり平面よりも立体が好きで。その頃は素材にこだわるよりも、何かを形にすることに興味を持っていました」
陶芸部の部長は、ある陶芸の会社に入社するのが通例だったという。部長を務めた大森さんにも、陶芸が盛んな益子市で陶芸家になる道が開かれていた。しかし、高校3年生の夏、ある企業のアルバイト募集を見つけたことが、大森さんの行く末を大きく変えることになる。