未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
104

岩手県奥州市

「人首」と書いて「ひとかべ」と読む、岩手県奥州市江刺区にある小さな町並み。かつて宿場町として栄えたこの町には、若き日の宮沢賢治が2度訪れたという記録がある。賢治が歩いたという、今も残る古い街道を実際に歩いて、詩が生まれた当時の情景に思いを馳せてみる。

文= 松本美枝子
写真= 松本美枝子
未知の細道 No.104 |25 December 2017
  • 名人
  • 伝説
  • 挑戦者
  • 穴場
岩手県奥州市

最寄りのICから【E4】東北自動車道「水沢」を下車

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#1プロローグ・詩を生み出した風景

 まるで絵の中の風景にいるみたい——ここに来てから何度そう思ったことだろう。石仏や石碑が点在する街道、あるいは町なかの高台や人里から少し離れた峠から見下ろす風景。山間にあるこの町は、どこを歩いても、まるで時が止まったかのような昔ながらの佇まいなのだ。
 私は今、岩手県の奥州市は江刺区、人首(ひとかべ)という地域に来ている。「人首」とかいて「ひとかべ」と読む、何やら恐ろしげな地名の由来は、平安時代の蝦夷の伝説だ。蝦夷の首領・悪路王の甥とも言われる伝説上の少年首領「人首丸」が朝廷軍と戦うために立てこもった地域とも、斬首された場所とも言われているのだ。いずれにしろ、この一帯は、蝦夷一族が朝廷との戦いを繰り広げ、そして敗れ去った歴史の舞台の一つに違いないのだろう。
 そんな蝦夷の哀しい伝説に加えて、人首には近世から近代にかけて東北の要衝として栄えた地域、という側面もある。鉄道や車が発達するまでは、水沢から大船渡までをつなぐ盛街道や、遠野へと出る五輪街道の宿場町として、人首の町はたいそう栄えたという。
 まさに人首が賑わっていた大正時代に、若き日の宮沢賢治が2度、この町を訪れたという記録が残っている。岩手の自然をモチーフにしているとも言われる理想郷「イーハトーブ」を舞台に、豊かな心象世界を描き出した宮沢賢治の文学。その作品は、今もなお古びることなく私たちに読み継がれている。
 1度目の旅はまだ学生だった大正6年(1917)に二人の友人と地質調査に、2度目は大正13年(1924)に、花巻農学校の教師となってから。本州で一番広い岩手県の中を、大部分は歩いて移動するしかなかった時代に、2度も人首を訪れたということは、この町には賢治の心に響く何かがあったに違いない。それが何だったのかを知りたくて、私は賢治が歩いた街道を歩いてみることにしたのだ。

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未知の細道 No.104

松本美枝子

1974年茨城県生まれ。生と死、日常をテーマに写真と文章による作品を発表。
主な受賞に第15回「写真ひとつぼ展」入選、第6回「新風舎・平間至写真賞大賞」受賞。
主な展覧会に、2006年「クリテリオム68 松本美枝子」(水戸芸術館)、2009年「手で創る 森英恵と若いアーティストたち」(表参道ハナヱ・モリビル)、2010年「ヨコハマフォトフェスティバル」(横浜赤レンガ倉庫)、2013年「影像2013」(世田谷美術館市民ギャラリー)、2014年中房総国際芸術祭「いちはら×アートミックス」(千葉県)、「原点を、永遠に。」(東京都写真美術館)など。
最新刊に鳥取藝住祭2014公式写真集『船と船の間を歩く』(鳥取県)、その他主な書籍に写真詩集『生きる』(共著・谷川俊太郎、ナナロク社)、写真集『生あたたかい言葉で』(新風舎)がある。
パブリックコレクション:清里フォトアートミュージアム
作家ウェブサイト:www.miekomatsumoto.com

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。