朝起きるとキンと冷えてはいるが、昨夜の雨は嘘のように晴れていた。
佐伯さんと共にまず向かった先は、以前は「菊慶旅館」と呼ばれていた建物だ。宮沢賢治が2度、人首に来た際、いずれもここに宿泊し、その部屋から眺めた町の目抜き通りの印象が、「人首町」という詩になっていることがわかっている。
その一節はこうだ。
雪や雑木にあさひがふり
丘のはざまのいっぽん町は
あさましいまで光ってゐる
そのうしろにはのっそり白い
五輪峠のいたゝ゛きで
鉛の雲が湧きまた翔け
南につゝ゛く種山ケ原のなだらは
渦巻くひかりの霧でいっぱい
つめたい風の合間から
ひばりの声も聞こえてくるし
やどり木のまりには艸いろのもあって
その梢から落ちるやうに飛ぶ鳥もある
『五輪峠・賢治マップ』(賢治街道を歩く会、2013)より引用
明治時代に創業した菊慶旅館は、この町を代表する立派な旅館だった。しかし2011年の東日本大震災によって建物の一部が壊れたため、惜しまれながらも閉じてしまった。岩手の内陸であるここ人首も、震災の影響は甚大だったのだ。しかし今でも、先代の娘さんである武内美紀さんが、こうして訪れる人たちを元の客室に通し、賢治が見た眺めを案内してくれている。
入ってみると広々とした作りで、かつてはたくさんの人が泊まりに来たことだろう。大正時代に岩手県知事一行が泊まった際の記念写真なども飾ってあり、菊慶旅館と人首の町の華やかなりし頃を思い浮かべることができた。
2階に上がり、賢治が泊まったと思われる部屋に入った。建替えしているが、部屋があった場所は同じなので、窓から見える風景は賢治が眺めたものとほぼ同じでしょうね、と佐伯さんと竹内さん。
窓を開けて外を眺めてみる。人首の町の目抜き通りが昨夜の雨に濡れている。そして輝く朝日を受けて、キラキラと光っている。まさに詩の通りの風景だ。今は少しの人が歩いているばかりだけれど、往時にはきっとたくさんの人馬が行き交ったに違いない。一本道の向こうには紅葉が残る山々がある。右のほうに見えるのが詩の中に出てくる五輪峠だろうか。そうか、賢治はあの山を越えて、歩いてこの町までやってきたのか。
そう思ったら、次はあの山の中へと行ってみたくなった。私たちはもうすっかり、詩の世界に入り込んでいたのである。
松本美枝子