未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
104

〜詩が生まれた場所を歩く〜

宮沢賢治が旅した人首の街道

文= 松本美枝子
写真= 松本美枝子
未知の細道 No.104 |25 December 2017
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#6賢治と人首の町

 五輪街道を後にし、また人首の町に戻った。町へと入った途端、お天気雨が降り出した。晴れ間からキラキラした雨が町に降り注いでいる。山あいならではの不思議な天気である。やはり先に峠に行っておいてよかったね、と言いながら佐伯家に戻ると、奥さんがお昼を用意して待っていてくれた。岩手名物「卵麺」である。黄色い素麺のよう……、と言えばいいだろうか。サクサク、プチプチとした食感でおいしい。「卵麺は夏のお料理なのよね」と言って、奥さんは暖かいうどんも出してくれた。
 すっかりご馳走になった後、再び人首の町へ。賢治が人首滞在中に友達宛の手紙を出した郵便局や、下書稿にも書かれているバス停や人首橋など、大正時代と変わらぬ場所にある、賢治ゆかりの地を見て回った。これらの場所には全て「賢治街道を歩く会」が設置した案内板が設置してあるので、マップを片手に町を散策するのも楽しいだろう。

下書稿にもある、昔と同じ場所に位置するバス停。

 さて賢治が大正6年(1917)の人首の旅を振り返った友人宛の手紙の中には「人首ノ御医者サンナンドヲ思ヒマス」と書かれている。当時、人首にあった病院は「角南医院」だけで、賢治が会ったのは当時の院長「角南恂」だったであろう、と佐伯さんたちは推測している。町のはずれにあったその病院は、今は無くなってしまったが、佐伯さんのお父さんの世代には存在していて、町の人々は病気にかかるとそこを訪ねたのだという。
 佐伯さんが「病院へ行くときは、今も残る田んぼのあぜ道が近道だったので、町の人は必ずそこを通ったんです」という。だから賢治もきっとそのあぜ道を歩いたのではないか、と佐伯さんたちは考えているのだ。
 実際にその道を歩いてみることにした。人首橋を渡り、田んぼのあぜ道に入る。町の人々に踏みしめられてできた、短いでこぼこ道だ。
 賢治が最初に人首へ地質調査に来た時は、2人の友人も一緒だったことがわかっている。「仲間の一人が急に体調を崩して、病院を訪ねたのかもしれないですよね」と佐伯さんは推論を語ってくれた。
 賢治の物語の中には、弱い人や困った人を心から心配し、オロオロしながらも、手を差し伸べる人物がよく出てくる。昔のままのあぜ道を歩きながら、なんとなく、そんな場面を思い浮かべた。

賢治も歩いただろう病院に向かうあぜ道を行く。
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未知の細道 No.104

松本美枝子

1974年茨城県生まれ。生と死、日常をテーマに写真と文章による作品を発表。
主な受賞に第15回「写真ひとつぼ展」入選、第6回「新風舎・平間至写真賞大賞」受賞。
主な展覧会に、2006年「クリテリオム68 松本美枝子」(水戸芸術館)、2009年「手で創る 森英恵と若いアーティストたち」(表参道ハナヱ・モリビル)、2010年「ヨコハマフォトフェスティバル」(横浜赤レンガ倉庫)、2013年「影像2013」(世田谷美術館市民ギャラリー)、2014年中房総国際芸術祭「いちはら×アートミックス」(千葉県)、「原点を、永遠に。」(東京都写真美術館)など。
最新刊に鳥取藝住祭2014公式写真集『船と船の間を歩く』(鳥取県)、その他主な書籍に写真詩集『生きる』(共著・谷川俊太郎、ナナロク社)、写真集『生あたたかい言葉で』(新風舎)がある。
パブリックコレクション:清里フォトアートミュージアム
作家ウェブサイト:www.miekomatsumoto.com

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。