五輪峠を下って、私たちは現在も使われている五輪街道へと向かった。どこか神秘的で寒々とした五輪峠と一転して、日が当たるこの街道には人気があり、ほっとするような温かみが感じられた。この街道を下れば、やがて人首の町へと出る。「2度の人首探訪で、賢治はいずれもこの道を通って人首の町へ投宿したと考えられています」と佐伯さん。
上大内沢という集落に入ると、手入れされた畑や牧草地の合い間に、古い家がポツリポツリと見えてくる。どの家も、この地方独特の、まるでお寺のように大きな屋根と、母屋の手前に家畜小屋がある作りの立派な家屋が並ぶ。このあたりが、2度目の人首の旅で書かれた詩「丘陵地を過ぎる」の風景ではないか、とされている。その一節はこうだ。
水がごろごろ鳴ってゐる
さあ犬が吠え出したぞ
さう云っちゃ失敬だが
まづ犬の中のカルゾーだな
喇叭のやうないゝ声だ
ひばがきのなかの
あっちのうちからもこっちのうちからも
こどもらが叫び出したのは
けしかけてゐるつもりだらうか
それともおれたちを気の毒がって
とめやうとしてゐるのだらうか
『五輪峠・賢治マップ』(賢治街道を歩く会、2013)より引用
地元の人たちが馬洗淵(まりゃぶち)と呼ぶ、沢が出てきた。地名の通り、昔の旅人たちがここで馬を洗い、水を飲ませ、休憩したのだろう。清冽な水が、確かにゴロゴロと勢いよく流れている。友達は、これはいい音だなあと、聴き入っている。立ち止まって耳を澄ませると、いくらでも聞いていられそうな心地よい響きだった。
もしかしたら賢治たちも馬洗淵で一休みし、近所のこどもたちに、うちに寄って行け、泊まって行け、とせがまれたのかもしれない。そしてその子供たちとは、少し前までこの家々で暮らしていた世代の、幼い頃の姿なのかもしれないのだ。そんなことを想像すると、詩の世界がぐんと身近に感じられる。
「この街道が一番、賢治が歩いた当時の面影が残っていると言えるかもしれません」佐伯さんはそう教えてくれた。なんだか昔話の中に出てくるような、美しい道だった。
松本美枝子