三日目の朝。人首の町を離れる前に、友達と二人で、近所をもう一度、散歩してみることにした。
ほぼ江戸時代のまま残っている城内の区割、そして今はすっかり草に埋もれた人首城跡の入り口、大正時代から立っているという擬洋風建築の立派な住宅、今でも夕方になると鳴らされるフランス製の鐘だけが残ったカトリック教会の跡地など……、きっと賢治もこれらを目にし、耳にしたに違いない。そんなことを考えながら、小高い丘の上にある神社の階段を登ってみる。町の人が「壇ケ丘」と呼ぶところだ。
賢治の下書稿には、壇ヶ丘のことも含めて、人首の朝の風景を、このように書かれている。
「丘には杉の杜もあれば/赤い小さな鳥居もある」
「水沢へ七里の道が/けさうつくしく凍ってゐて/藻類の行商人や/税務署の濁密係り/みな藍靛の影を引いて/つぎつぎ町を出てくれば/遠い馬橇の鈴もふるえる」
『五輪峠・賢治マップ』(賢治街道を歩く会、2013)より引用
階段を上ると、この町が見渡せる。町が昔ながらの佇まいなのは、開発に遅れ、時代に取り残されたからだ、と言えるかもしれない。でもその結果、私たちは賢治が見た風景と変わらぬ世界を今でも見ることができる。
町の向こうには昨日と同じように美しい山がある。本格的な雪もそろそろと思わせる冷気が小さな町を包み込んでいて、その中に家並みが光って見える。屋根の下には暖かい暮らしがあって、通りをゆっくり歩く人々が小さく見える。賢治が書いてきた作品は、そんな昔から変わらぬ岩手の暮らしの中にある光や音、色、匂いに満ちていて、それこそが、私たちにとって本当は一番大切で美しいものなのではないか、と語りかけてくれるような気がする。
ねえねえ、今日はあの山を越えて、遠野まで行ってみようか。賢治や、昔の人々と同じようにね——。友達と私は、人首の町を見下ろしながら、次の目的地までの計画を始めた。
松本美枝子