その日、私はNPO法人Cloud JAPANが運営するゲストハウス「架け橋」に泊まっていた。震災後のボランティアで気仙沼に来ていた大学生の田中惇敏さん、通称アツさんが、他のボランティア学生たちと一緒に古民家を改装したものだ。
「ここはお風呂だったところを取り除いて、洗面所にして。廊下も自分たちで作ったんですよ」
チェックイン早々、ゲストハウスのことを嬉しそうに教えてくれるアツさんからは、この架け橋と気仙沼に対する愛が伝わってくる。
「実はまだ福岡の大学生。4年前から休学して気仙沼に移り住んでいます。ボランティアで通ううちに気仙沼が大好きになっちゃった」
このゲストハウス、運営しているのはアツさんを始めみんな20代。大学を休学してやって来た人や、新卒で気仙沼に就職した若者もいる。だからといって学生の集まりのような雰囲気があるわけではない。それはおそらく、地元の人たちとのコミュニティが出来上がっているからだろう。
「架け橋」の居間と呼ばれる共有スペースでは、地元の人もボランティアも観光客も巻き込んで、多くのイベントが行われる。昼間は子どもを連れたママたちが絵本カフェが開店し、夜になれば、みんなでこたつを囲んだ飲み会が始まる。
私が宿泊した日も、夜になると地元の人々が集まり始めた。他の宿泊客も参加して、人狼ゲームで盛り上がる。気づけば日付は変わり、おつまみや飲み物は空になった。「はじめまして」の人ばかりのはずが、まるで家にいるような感覚。みんながここに集まる理由がわかる気がした。
ふと、氷の水族館の岡本さんが言っていたことを思い出す。
「この気仙沼も、やっぱり過疎化の問題はあって。若い人が減っているのを震災が後押しするような形になってしまった。だから、みんなが戻ってこれる環境をつくりたい」
もちろん、そういう問題が気仙沼にはあるのだと思う。それでも、架け橋でこたつに入りながら、気仙沼が大好きで集まった若者たちに囲まれて、私は少し安心していた。震災があって彼らは気仙沼と繋がることができて、これからの気仙沼を作っていこうとしている。
ウィルソン麻菜