未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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港町の氷屋さんが復活させた極寒世界

マイナス20℃!氷の水族館

文= ウィルソン麻菜
写真= ウィルソン麻菜
未知の細道 No.103 |10 December 2017
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#8地元とつながる「架け橋」に泊まる

古民家を改修したゲストハウス「架け橋」

 その日、私はNPO法人Cloud JAPANが運営するゲストハウス「架け橋」に泊まっていた。震災後のボランティアで気仙沼に来ていた大学生の田中惇敏さん、通称アツさんが、他のボランティア学生たちと一緒に古民家を改装したものだ。

「ここはお風呂だったところを取り除いて、洗面所にして。廊下も自分たちで作ったんですよ」

 チェックイン早々、ゲストハウスのことを嬉しそうに教えてくれるアツさんからは、この架け橋と気仙沼に対する愛が伝わってくる。

「実はまだ福岡の大学生。4年前から休学して気仙沼に移り住んでいます。ボランティアで通ううちに気仙沼が大好きになっちゃった」

 このゲストハウス、運営しているのはアツさんを始めみんな20代。大学を休学してやって来た人や、新卒で気仙沼に就職した若者もいる。だからといって学生の集まりのような雰囲気があるわけではない。それはおそらく、地元の人たちとのコミュニティが出来上がっているからだろう。

架け橋の壁は、一面絵本だらけだ。

 「架け橋」の居間と呼ばれる共有スペースでは、地元の人もボランティアも観光客も巻き込んで、多くのイベントが行われる。昼間は子どもを連れたママたちが絵本カフェが開店し、夜になれば、みんなでこたつを囲んだ飲み会が始まる。

 私が宿泊した日も、夜になると地元の人々が集まり始めた。他の宿泊客も参加して、人狼ゲームで盛り上がる。気づけば日付は変わり、おつまみや飲み物は空になった。「はじめまして」の人ばかりのはずが、まるで家にいるような感覚。みんながここに集まる理由がわかる気がした。

 ふと、氷の水族館の岡本さんが言っていたことを思い出す。

「この気仙沼も、やっぱり過疎化の問題はあって。若い人が減っているのを震災が後押しするような形になってしまった。だから、みんなが戻ってこれる環境をつくりたい」

 もちろん、そういう問題が気仙沼にはあるのだと思う。それでも、架け橋でこたつに入りながら、気仙沼が大好きで集まった若者たちに囲まれて、私は少し安心していた。震災があって彼らは気仙沼と繋がることができて、これからの気仙沼を作っていこうとしている。

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未知の細道 No.103

ウィルソン麻菜

1990年東京都生まれ。学生時代に国際協力を専攻し、児童労働撤廃を掲げるNPO法人での啓発担当インターンとしてワークショップなどを担当。アメリカ留学、インド一人旅などを経験したのち就職。製造業の会社で、日本のものづくりにこだわりを持つ職人の姿勢に感動する。「買う人が、もっと作る人に思いを寄せる世の中にしたい」と考え、現在は野菜販売の仕事をしながら作り手にインタビューをして発信している。刺繍と着物、野菜、そしてインドが好き。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。