開発計画を知った先生たちは、計画には一切反対せず、「賛成」の旗印を掲げながら、開発主である京浜急行電鉄と対話を続けた。
「『みなさんの計画はいい計画です、ちょっと変えればもっといい計画になる。ゴルフ場じゃなくて、ここの自然を丸ごと守る計画にしませんか』と言い続けたの。僕は科学者ではあるけれど、 それまでも“海千山千”の市民運動をやってきたので、企業と喧嘩してはダメだと分かってた。だから、開発に賛成! 住宅も道路も、農地造成、鉄道もあっていい。ただ自然を壊すゴルフ場だけは反対。だから、開発反対じゃなくて、ゴルフ場だけはやめて、自然を重視した形の“代案提案”に徹した」
なるほどー!
ここから、まさに「この森の最大の貢献者は京浜急行と地主さん」という話につながる。
先生が代替案を提案した時点では、ここは数百人の地主がいる民有地。それを「開発」という一つの方向にまとめあげたのは、奇しくも京浜急行電鉄なのである。
「京浜急行は、仮登記という形で、土地を利用する権利を一括してもっていた。もし(リゾート開発の計画がなく)、数百人の地主がばらばらにいたら、ここは細切れに個別開発されて、絶対に保全できなかった。地主さんたちにとっては“開発”の予定が“保全”になっただけ。京浜急行さえ説得できれば、自動的にその人たちの合意をとれるという構造ができていた。大開発の計画があったからこそ、ここは守れたんです」
まったくもって、真実は小説なんかよりもずっとドラマチックなのである。
やがてバブルは弾け、神奈川県が県内のゴルフ場計画を凍結。その辺りから潮目が変わり、周囲の市民や行政、企業もだんだんと「小網代の森を守ろう」という方角に向かって動き出す。
1994年には、神奈川県が小網代の森の保全を決定。ここの保全活動に関わる様々な市民団体の足並みを調整するため、1998年には県と協働して保全を目指す「小網代野外活動調整会議」が生まれた。
任意団体だった小網代野外活動調整会議がNPO法人になったのは2005年。その年、国も保全に向けて動いた。小網代の森は、国土審議会において「首都圏近郊緑地保全区」に指定。
そして、2010年には この森の約70ヘクタールを、神奈川県が購入した。これで、もうここにリゾートが建設される可能性は完全に消滅。三十年近い時を経て、岸先生たちが思い描いた「この森をまるごと守る」にたどりついたのだ。
「最初はこんなにうまくいくとは思わなかったけどねー」と淡々と、でも少し嬉しそうに先生は語る。
しかし、そこからが本当のスタートだった。どのような方針で森を保全するのかという議論・検討をしている間にも、森は荒れ、谷は暗くなり、生き物は姿を消し始めていた。
そこで、行政と市民団体が協力しあい、先ほど書いたように森や川の手入れをし、木道が整備され、2014年からは一般公開されるようになった……というわけだ。
小網代の森には、まだいくつもの手付かずの谷が残されているので、これからも人々の森のお世話は続く。
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川内 有緒