未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
96

小網代の森は、ノアの箱舟!

三浦半島の「奇跡の森」を歩こう

文= 川内有緒
写真= 川内有緒
未知の細道 No.96 |10 August 2017
この記事をはじめから読む

#6奇跡の森の残し方

森は湾や干潟と直接繋がっている。鳥や虫の鳴き声が響き、潮の香りが漂う穏やかな風景である。

 開発計画を知った先生たちは、計画には一切反対せず、「賛成」の旗印を掲げながら、開発主である京浜急行電鉄と対話を続けた。
「『みなさんの計画はいい計画です、ちょっと変えればもっといい計画になる。ゴルフ場じゃなくて、ここの自然を丸ごと守る計画にしませんか』と言い続けたの。僕は科学者ではあるけれど、 それまでも“海千山千”の市民運動をやってきたので、企業と喧嘩してはダメだと分かってた。だから、開発に賛成! 住宅も道路も、農地造成、鉄道もあっていい。ただ自然を壊すゴルフ場だけは反対。だから、開発反対じゃなくて、ゴルフ場だけはやめて、自然を重視した形の“代案提案”に徹した」
 なるほどー!

 ここから、まさに「この森の最大の貢献者は京浜急行と地主さん」という話につながる。
 先生が代替案を提案した時点では、ここは数百人の地主がいる民有地。それを「開発」という一つの方向にまとめあげたのは、奇しくも京浜急行電鉄なのである。
「京浜急行は、仮登記という形で、土地を利用する権利を一括してもっていた。もし(リゾート開発の計画がなく)、数百人の地主がばらばらにいたら、ここは細切れに個別開発されて、絶対に保全できなかった。地主さんたちにとっては“開発”の予定が“保全”になっただけ。京浜急行さえ説得できれば、自動的にその人たちの合意をとれるという構造ができていた。大開発の計画があったからこそ、ここは守れたんです」
 まったくもって、真実は小説なんかよりもずっとドラマチックなのである。
 やがてバブルは弾け、神奈川県が県内のゴルフ場計画を凍結。その辺りから潮目が変わり、周囲の市民や行政、企業もだんだんと「小網代の森を守ろう」という方角に向かって動き出す。
 1994年には、神奈川県が小網代の森の保全を決定。ここの保全活動に関わる様々な市民団体の足並みを調整するため、1998年には県と協働して保全を目指す「小網代野外活動調整会議」が生まれた。
 任意団体だった小網代野外活動調整会議がNPO法人になったのは2005年。その年、国も保全に向けて動いた。小網代の森は、国土審議会において「首都圏近郊緑地保全区」に指定。  そして、2010年には この森の約70ヘクタールを、神奈川県が購入した。これで、もうここにリゾートが建設される可能性は完全に消滅。三十年近い時を経て、岸先生たちが思い描いた「この森をまるごと守る」にたどりついたのだ。
「最初はこんなにうまくいくとは思わなかったけどねー」と淡々と、でも少し嬉しそうに先生は語る。
 しかし、そこからが本当のスタートだった。どのような方針で森を保全するのかという議論・検討をしている間にも、森は荒れ、谷は暗くなり、生き物は姿を消し始めていた。
 そこで、行政と市民団体が協力しあい、先ほど書いたように森や川の手入れをし、木道が整備され、2014年からは一般公開されるようになった……というわけだ。
 小網代の森には、まだいくつもの手付かずの谷が残されているので、これからも人々の森のお世話は続く。

このエントリーをはてなブックマークに追加


未知の細道 No.96

川内 有緒

日本大学芸術学部卒、ジョージタウン大学にて修士号を取得。
コンサルティング会社やシンクタンクに勤務し、中南米社会の研究にいそしむ。その合間に南米やアジアの少数民族や辺境の地への旅の記録を、雑誌や機内誌に発表。2004年からフランス・パリの国際機関に5年半勤務したあと、フリーランスに。現在は東京を拠点に、おもしろいモノや人を探して旅を続ける。書籍、コラムやルポを書くかたわら、イベントの企画やアートスペース「山小屋」も運営。著書に、パリで働く日本人の人生を追ったノンフィクション、『パリでメシを食う。』『バウルを探して〜地球の片隅に伝わる秘密の歌〜』(幻冬舎)がある。「空をゆく巨人」で第16回開高健ノンフィクション賞受賞。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。