エノキテラスの周辺では、たくさんの人々が草木の手入れをしていた。
暑い中でご苦労様です! と頭を下げたくなる。
その一団の中に、ビブスをつけた白髪の男性がいた。すごく生き生きとして、楽しそうだ。
「草を刈ったり木を切ったりしているときが幸せ。生活は学生時代と変わらず、友達は市民運動仲間ばかり」
そういうこの人こそが、進化生物学者で、慶應義塾大学名誉教授の岸由二先生。さきほどのNPOの代表理事であり、この森の保全に尽力をしてきた人物である。ここに関わって33年間の岸先生は、今年で70歳。
水害と汚染だらけの横浜市鶴見区で生まれ育ち、幼い頃から自然と都市の共存について考えてきたそうだ。
そんな岸先生が友人に誘われて、この森と出会ったのは、一九八四年の秋のことだった。
十一月の薄暗い、少し小雨模様の、どんよりとした曇りのやや寒い日でしたけれども、入って何か身体がビリビリするというか、デジャブに襲われたというか、これが探していた場所だと言うような感じがふつふつと湧き上がりました。(『奇跡の自然』岸由二著)
その時、岸先生は「あ、ここは残せる」と感じ、すぐに開発計画を調べ、この森を丸ごと残す作戦を立てて動き始めた。
さっきも書いたが、もともとこの場所は森ではなく、大勢の農家が所有する農地だった。80年代になると、農地は京浜急行によって買収され、「大型のリゾート開発をしよう!」という流れになっていた。そこに「待った!」をかけたわけだ。
そう聞くと、なんとなく先生たちが率いる市民の反対運動が身を結んだのかと思いきや、
「いやいや、僕は開発には賛成だった」
というので「えっ!」と驚かされる。
「ここの保全の最大の貢献者は京浜急行と地主さん。もしリゾート計画がなかったら、ここは普通の住宅街と港になっていた」
へえ、そうなんですか!
未知の細道の旅に出かけよう!
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※本プランは当サイトが運営するプランではありません。実際のお出かけの際には各訪問先にお問い合わせの上お出かけください。
川内 有緒