未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
96

小網代の森は、ノアの箱舟!

三浦半島の「奇跡の森」を歩こう

文= 川内有緒
写真= 川内有緒
未知の細道 No.96 |10 August 2017
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#5「この森はきっと残せる」

「ハマカンゾウ」という植物を復活させようとみんなで手入れをしている。「ハマカンゾウ」はもともとこの辺りに群生していが、東日本大震災の高潮で失われてしまったそうだ。

 エノキテラスの周辺では、たくさんの人々が草木の手入れをしていた。
 暑い中でご苦労様です! と頭を下げたくなる。
 その一団の中に、ビブスをつけた白髪の男性がいた。すごく生き生きとして、楽しそうだ。
「草を刈ったり木を切ったりしているときが幸せ。生活は学生時代と変わらず、友達は市民運動仲間ばかり」
 そういうこの人こそが、進化生物学者で、慶應義塾大学名誉教授の岸由二先生。さきほどのNPOの代表理事であり、この森の保全に尽力をしてきた人物である。ここに関わって33年間の岸先生は、今年で70歳。
 水害と汚染だらけの横浜市鶴見区で生まれ育ち、幼い頃から自然と都市の共存について考えてきたそうだ。
 そんな岸先生が友人に誘われて、この森と出会ったのは、一九八四年の秋のことだった。

この森の保全に三十年以上も尽力してきた岸由二先生。「ここが僕の地球」。

十一月の薄暗い、少し小雨模様の、どんよりとした曇りのやや寒い日でしたけれども、入って何か身体がビリビリするというか、デジャブに襲われたというか、これが探していた場所だと言うような感じがふつふつと湧き上がりました。(『奇跡の自然』岸由二著)

 その時、岸先生は「あ、ここは残せる」と感じ、すぐに開発計画を調べ、この森を丸ごと残す作戦を立てて動き始めた。

 さっきも書いたが、もともとこの場所は森ではなく、大勢の農家が所有する農地だった。80年代になると、農地は京浜急行によって買収され、「大型のリゾート開発をしよう!」という流れになっていた。そこに「待った!」をかけたわけだ。
 そう聞くと、なんとなく先生たちが率いる市民の反対運動が身を結んだのかと思いきや、
「いやいや、僕は開発には賛成だった」
というので「えっ!」と驚かされる。
「ここの保全の最大の貢献者は京浜急行と地主さん。もしリゾート計画がなかったら、ここは普通の住宅街と港になっていた」
 へえ、そうなんですか!

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未知の細道 No.96

川内 有緒

日本大学芸術学部卒、ジョージタウン大学にて修士号を取得。
コンサルティング会社やシンクタンクに勤務し、中南米社会の研究にいそしむ。その合間に南米やアジアの少数民族や辺境の地への旅の記録を、雑誌や機内誌に発表。2004年からフランス・パリの国際機関に5年半勤務したあと、フリーランスに。現在は東京を拠点に、おもしろいモノや人を探して旅を続ける。書籍、コラムやルポを書くかたわら、イベントの企画やアートスペース「山小屋」も運営。著書に、パリで働く日本人の人生を追ったノンフィクション、『パリでメシを食う。』『バウルを探して〜地球の片隅に伝わる秘密の歌〜』(幻冬舎)がある。「空をゆく巨人」で第16回開高健ノンフィクション賞受賞。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
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きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。