未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
96

小網代の森は、ノアの箱舟!

三浦半島の「奇跡の森」を歩こう

文= 川内有緒
写真= 川内有緒
未知の細道 No.96 |10 August 2017
この記事をはじめから読む

#3人の手がたくさん入った森

 進むごとに、谷は様相を変え、どんどん明るくなってくる。気がつけば周囲は美しい湿原になっていた。トンボの数が徐々に増え、木道を向こう側からやってきた三人の女の子たちが「トンボだー! 見てー! 捕まえたよ」と嬌声をあげて走り始めた。

 こんなに美しい場所だが、一歩間違えればここはゴルフ場になっていたのかもしれない、というのだからいやはや恐ろしい。
 ここは、1960年代前半までは地元の棚田や畑だったが、首都圏の発展と共に農業をする人も減った。
 そこで持ち上がったのがリゾート開発。1985年頃には、この森一体を含む約170ヘクタールが開発予定地となった。まあ、バブル全盛期という時代を考えれば、それも当然だろう。あの頃は、どこもかしこも開発の対象になっていた。
「どこらへんがゴルフ場になる予定だったのですか」
「今いるあたり全部そうですね」
 西池さんは、谷全体をぐるりと見回した。
 リゾート開発から森の保全へと方針が百八十度転換されるまでには、「それこそが奇跡ですね!」と拍手を送りたくなるようなドラマがあったわけだが、それについてはまたのちほど触れたい。

 ここで強調したいのは、小網代の森は「手付かずの大自然!」ではないことだ。むしろ、たくさんの人の手がたくさん入った、お世話された森。
 例えば、私たちが歩く美しい湿原も、数年前まで高さ三、四メートルもある笹にびっしりと覆われ、谷の樹間も伸びすぎた木々に覆われて暗かった。それを現在のような明るい谷と湿原に変えたのは、現在の小網代野外活動調整会議(NPO法人)のメンバーなど、この森を愛する市民たちであった。もちろん西池さんもこのNPOのメンバーである。
 伸びすぎた木を伐採し、笹薮を刈り、川の流れをゆるやかにし、放っておけばみるみる拡大する外来種の植物を駆除した。
「私たちがやっているのは、昔に戻すとかではないんです。そもそも、ここは昔から農業をやっていた場所なので、人の手が入らなかったら、森は荒れ、乾燥し、多様性はむしろ失われてしまいます。例えば背の高い笹薮ばかりになると、光が川に入らなくなり、むしろ生き物が少なくなります」
 そうやって、姿を消す寸前の生き物の一つが、ホタルだ。川が暗くなり、餌となる巻貝のカワニナが減ったためだ。

このエントリーをはてなブックマークに追加


未知の細道 No.96

川内 有緒

日本大学芸術学部卒、ジョージタウン大学にて修士号を取得。
コンサルティング会社やシンクタンクに勤務し、中南米社会の研究にいそしむ。その合間に南米やアジアの少数民族や辺境の地への旅の記録を、雑誌や機内誌に発表。2004年からフランス・パリの国際機関に5年半勤務したあと、フリーランスに。現在は東京を拠点に、おもしろいモノや人を探して旅を続ける。書籍、コラムやルポを書くかたわら、イベントの企画やアートスペース「山小屋」も運営。著書に、パリで働く日本人の人生を追ったノンフィクション、『パリでメシを食う。』『バウルを探して〜地球の片隅に伝わる秘密の歌〜』(幻冬舎)がある。「空をゆく巨人」で第16回開高健ノンフィクション賞受賞。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。