進むごとに、谷は様相を変え、どんどん明るくなってくる。気がつけば周囲は美しい湿原になっていた。トンボの数が徐々に増え、木道を向こう側からやってきた三人の女の子たちが「トンボだー! 見てー! 捕まえたよ」と嬌声をあげて走り始めた。
こんなに美しい場所だが、一歩間違えればここはゴルフ場になっていたのかもしれない、というのだからいやはや恐ろしい。
ここは、1960年代前半までは地元の棚田や畑だったが、首都圏の発展と共に農業をする人も減った。
そこで持ち上がったのがリゾート開発。1985年頃には、この森一体を含む約170ヘクタールが開発予定地となった。まあ、バブル全盛期という時代を考えれば、それも当然だろう。あの頃は、どこもかしこも開発の対象になっていた。
「どこらへんがゴルフ場になる予定だったのですか」
「今いるあたり全部そうですね」
西池さんは、谷全体をぐるりと見回した。
リゾート開発から森の保全へと方針が百八十度転換されるまでには、「それこそが奇跡ですね!」と拍手を送りたくなるようなドラマがあったわけだが、それについてはまたのちほど触れたい。
ここで強調したいのは、小網代の森は「手付かずの大自然!」ではないことだ。むしろ、たくさんの人の手がたくさん入った、お世話された森。
例えば、私たちが歩く美しい湿原も、数年前まで高さ三、四メートルもある笹にびっしりと覆われ、谷の樹間も伸びすぎた木々に覆われて暗かった。それを現在のような明るい谷と湿原に変えたのは、現在の小網代野外活動調整会議(NPO法人)のメンバーなど、この森を愛する市民たちであった。もちろん西池さんもこのNPOのメンバーである。
伸びすぎた木を伐採し、笹薮を刈り、川の流れをゆるやかにし、放っておけばみるみる拡大する外来種の植物を駆除した。
「私たちがやっているのは、昔に戻すとかではないんです。そもそも、ここは昔から農業をやっていた場所なので、人の手が入らなかったら、森は荒れ、乾燥し、多様性はむしろ失われてしまいます。例えば背の高い笹薮ばかりになると、光が川に入らなくなり、むしろ生き物が少なくなります」
そうやって、姿を消す寸前の生き物の一つが、ホタルだ。川が暗くなり、餌となる巻貝のカワニナが減ったためだ。
川内 有緒