音楽のような鳥の声と優しい光が周囲をめぐり、谷の両側に生えた背の高い木々が適度に木陰を作る。
この森が“奇跡”と言われる理由は、くっきりと明快だ。ここは、森と川と海の生態系をいっぺんに抱きかかえて未来へと運ぶ、「ノアの箱船」だからである。そのキーワードは、“流域”。
小網代の森には、一本の川の源流から干潟、そして湾まで続く流域が、寸断されることなくまるごときれいに残されている。木道を進めば、一軒の家も道路も工場も畑も見ないまま源流から海までを歩くことができる。それこそが、まさにミラクル。
「そういう場所は関東ではここだけと言われています。日本全体でも相当に珍しいようですね。たぶんこういう場所が残っているのは、もはや離島くらいじゃないでしょうか」(西池さん)
たいがいの流域は、道路で寸断されていたり、コンクリートで護岸されていたり、建物や施設があったりと、必ずといっていいほど人間によって開発されている。それが、ここでは人間の気配を感じるのは木道だけだ。
1994年にこの森の保全を決めた神奈川県の担当者は、「こんなことは空前絶後、後にも先にもここしかないだろう」と言ったそうだ。
「ほら、この奥、二、三百メートルのところが浦の川の源流ですよ」
と西池さんが教えてくれる。
おー、ここが源流ですか!
わずかな水がチョロチョロと土から染み出している。川って、こんな風に誕生するんだなあと、珍しい光景をしばし眺めた。
「小網代の森は、70ヘクタール(だいたい明治神宮と同じくらい)。1.3キロの流域で、お散歩にちょうどいいくらいです」
そんな話をしながら、私たちは谷底を進み、カニがたくさん棲むという干潟を目指した。
川内 有緒