ついに河口に出ると、穏やかな夏の干潟が広がっていた。平和な風景である。適度に水に浸った砂の中ではもう数え切れないほどたくさんのカニがいた。思ったよりも小さく、みんななぜかこっちの方角を見ている。「チゴガニ」というカニだそうだ。
おー、かわいい!
カニたちは、みな小さなハサミを上下させて、熱心にダンスを踊っている。これは求愛のダンス。オスがメスにアピールしているらしいが、まるで私たちを歓迎してくれているみたい。
ところで、小網代の森の一番の人気者といえば、赤い体のアカテガニである。
「アカテガニもこのあたりにいるんですか」
「アカテガニは森に住んでいます。今歩いてきたあたりにも住んでいるはずなのですが、今日は姿が見えないですねえ。もう“移動”が始まっているのかも」
そう、アカテガニは森に住むという不思議なカニである。
しかし、まったく海に縁がない、というわけではない。夏の大潮の晩、お腹に卵を抱えた母カニたちは、森から海に向かって大移動をする。そして、無事に海までたどり着くと、赤ちゃんを一斉に海に放出するのだ。
赤ちゃん(カニとは似ても似つかない不思議な格好をしている)たちは、すぐさま沖に向かって泳ぎだし、なんども脱皮を繰り返して、最後にどうみてもカニ! という格好になって、岸辺まで泳いで帰ってくる。その後、成長しながら、湿地や、森に帰ってゆくのだ。
つまり、アカテガニは森、川、海、干潟がセットで残っていないと生き残れない。だからこそ、アカテガニはこの森のアイドルなのだ。
私が小網代の森を訪れたのは7月上旬で、この大移動の時期に当たる。だから西池さんは、「もしかしたら移動が始まっているのかも」と言ったわけだ。
森のアイドルが見られないのは残念だが、これも自然のサイクル、しかたがないなと思った。
川内 有緒