明治生まれの父・弥四郎さんは、若い頃は外国に行く大型船のコックをしていた。
「スエズ運河なんか通って、中東やヨーロッパによく行ってたみたいだよ。戦前の話だ」
戦争が終わると弥四郎さんはレストランのコックとして働き、子ども四人を育てあげた。そして65歳になった時、弥四郎さんは家族に告げた。
「屋台のコーヒー屋をやりたい」
頭の中にイメージしたのは、かつて中東やヨーロッパで見た路上のチャイ屋やコーヒースタンド。そこでは、いっぱいのお茶やコーヒーを囲んで、人々は話に花を咲かせていた。弥四郎さんは、そんな風景を足利にも作りたいと夢見ていた。
しかし、家族は猛反対だった。
「だって、コーヒーの屋台なんて六十五歳になってから始める仕事ではないと思ってさ。四人兄弟の中で反対しなかったのは妹だけだったなあ」(次郎さん)
しかし、弥四郎さんの決心は揺るがなかった。場所は家の近くの四辻を選んだ。すぐ脇には川が流れ、田んぼがあり、大きなイチョウの木があるゆったりとした場所だ。
そして、アラジンの魔法のランプに、初めての火が灯された。1971年のことである。
川内 有緒