Youtubeチャンネル『かわぐつのケン』の初期に投稿された動画のなかで、菱沼さんは「大口叩くんですけど……」と前置きしつつ、世界一の靴職人になることを「壮大な夢」として語っている。そして実際、その3年後の2024年5月、菱沼さんは本当に大会史上最年少で世界一の称号に輝いた。靴作りを始めて5年ほど、満を侍しての出場だったのだろうか。
「いや、今年はやめておこうと思ってました」
意外な返答に驚いた。詳しく聞くと、いつか出場したいと思ってはいたものの、前年の秋に制作テーマが「ライトブラウンの革を使用したフルストラップローファー」だと知って、今回はパスしようと考えていたのだという。
「ローファーはほとんど作ったことがなかったし、ライトブラウンの革は汚れが目立つ上にダークトーンのものに比べて見栄えしにくく難しいので……また次回にと思っていました。ただ、同世代の靴を作っている人に『菱沼さんが出すなら勝負しようと思ってたのに』と言われて、じゃあ出すかと」
結局、菱沼さんに火をつけた当人は出場が叶わなかったそうだが、菱沼さんは出場の半年前から過去の優勝作を研究し始め、自身の靴の試作にも明け暮れた。新たな形や手法に挑戦するため、まずは脳内で構想を練るところから。実際に作ってみると思い通りにいかず、何度も見直しと試作を繰り返した。本番の革靴を作るよりも、構想と試作にかけた時間のほうが長かったと振り返る。
「どんな大会でも、過去大会からアップデートさせていきますよね。例えば、スノーボードだったら『宙返り2回』だったのが、次の大会では『宙返り2回転半』になる、みたいな。そういう流れが今回の大会にもあったので、それを踏襲しつつ過去になかったような作品を作りたいなと思っていました」
今大会で言えば、菱沼さんの靴には土踏まず部分の靴底がない。一般的にはつま先から踵まで靴底がつながっているが、世界大会の第一回の優勝者が土踏まず部分を極端に細くし、エレガントな印象にしたことでトレンドになった。2023年の優勝作品においてはほぼ線のような状態まで細くなっており、「もうここまで行ったらなくすしかない」と、菱沼さんは“2回転半”を狙いに行ったのだ。
「今回はローファーだったので、靴底のウェスト部分をなくしても成り立つ理由がありました。単純になくすだけだと面白くないんです。そこに構造や機能的な理由があって成り立たせるのが好きなのは、建築を学んでいる頃から一貫しているかもしれませんね」
ローファー特有の製法である「モカシン製法」という伝統的な作り方をオマージュしたという今回の作品。アッパーと呼ばれる足を覆う部分がぐるりと靴底のほうまで入り込む製法で、靴底のウェスト部分をぐるっとアッパーが包み込む菱沼さんの作品は、今回のテーマがローファーだったからこそ生まれたものだった。
世界一の靴を作り上げる上での難しさを聞くと、精神的なプレッシャーが大きかったという。革靴作りは一度の失敗でまるっとやり直しになる工程も多く、大会本番までの時間も迫っていた。さらに「出すからには優勝すると決めていた」ために自身を追い込みながらの制作となった。
「『世界一の靴を作っているんだ』と思い込むようにしていたんです。だから、『世界一の靴なんだから、これくらいやらないと……』というマインドになっていました。優勝できなかったらという考えがよぎっても、そうなった時に落ち込もうと決めて」
そうして仕上げられたライトブラウンのローファーは、靴底以外にも、今回の作品のために何度も練習して取り入れた手縫いの飾りステッチ(縫い目)や、技術力が必要となる1枚革で作られた踵部分など全体のバランスが評価され、菱沼さんは世界一の靴職人となったのだった。
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世界一のオーダーメイド革靴
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