中筋さんの本職は、カメラマンである。
「ファッション誌とかツーリング誌、バイク雑誌でも仕事してきて。あとは広告写真とか映画のスチールを撮ったり。子どもをふたり育てて、ある程度のことはしたし、ああ、もうこのあとは好きにやろうって思って、福島に通うようになって。頻繁に通い始めたのは震災の2年後くらいだから2013年かな」
それまで福島はバイクでは走り回ってきたが、浜通りは縁が薄かったという。その中筋さんが浜通りに興味を持ったのは、まさに原発事故があった土地だったからだ。
「もともと僕は廃虚とか産業遺構とかも撮ってて、軍艦島とか鉱山とかも撮り尽くしちゃって、じゃあちょっと海外行くかっていうんで、その初っ端がチェルブイリだった」
チェルノブイリの原発事故から21年後の2007年、特にコネクションもなかったため、ネットでコーディネーターを探し、通訳とドライバーを手配した。ウクライナ人の大男3人と古い車に乗りこみ、立ち入り禁止ゾーンにも入った。チェルノブイリでは30キロ圏内で人が暮らすことは許されてこなかった。それは、除染を行い住民を少しずつ地域に還らせるという日本の対応とは、真逆のものだ。
「何がすげえかって、とにかく1986年から時間が完全に止まっちゃってること。時間が止まった場所は見慣れていたはずなんだけど、なんかチェルノブイリの時間のフリーズの仕方っていうのは、社会体制の時間がそのまま止まってるみたいで、いまは存在しない『ソビエト連邦』がそのまま残ってた。やっぱり原子力災害ってものすげえんだなって」
そんな彼でも、2011年の3月に起こることはまったく予想がつかなかった。