あの日、中筋さんはギャルファッション雑誌の取材で、派手に着飾った若い少女たちの撮影をしていた。
「前日は朝方4時ぐらいまで新宿のロック酒場で飲んで、フラフラの状態で朝8時半ぐらいに撮影に行って昼まで撮影して。その後は、渋谷の雑居ビルの編集部でギャルと喋ってたんだよね」
話題は、中筋さんの娘に彼氏がいるかどうかというもの。楽しく喋っているうちに時刻は午後2時46分になり、ビル全体が激しく揺れ出した。
「ギャルがわんさかいる編集部だったから、もう阿鼻叫喚でさ。揺れが止まって、外を見たら渋谷の公園通りに人がたくさん出てきた。アリの巣に熱湯かけたらアリがどーって出てきたみたいな感じだったよ」
「原発事故のことを知ったときはどう感じましたか?」
「あああ、もうショックだったね!まさかっていう気持ち。チェルノブイリを見てきたから、原子力は常に危険をはらんでいるってわかっていたはずなのに、どこかで日本の原発はもっと高度な技術で管理されてるから安全にちがいないって思い込んでた。根本の部分では、俺も安全神話に完全に毒されていたことに気づいて、どっきりしちゃった」
事故のあと、福島第一原発の20キロ圏内は原子力災害特別措置法の定める「警戒区域」に指定された。20キロ圏内にすっぽりとおさまる双葉町、大熊町、浪江町などの市町村は、町民の全員が避難するという想像を絶する事態となり、町から人がほぼ完全に消えた。現在の「おれたちの伝承館」が位置する小高も警戒区域となった場所である。あわてて避難した人も多く、その後何年も家に帰れなくなるなど誰も想像もできなかった。
震災の2年後、中筋さんの姿は人気のない浜通りにあった。ひとりきりで歩き回り、目の前の風景に向かってシャッターを切る。ファインダーの向こうには、完全に時を止めたような場所が広がっていた。