おれたちの伝承館にはさまざまな作品があり、長めのビデオインスタレーションや来場者が参加できる作品もある。じっくり見れば、いくらでも時間をかけられる。
友子さんが作ったコウノトリの作品の横には、朝焼けに染まる故郷の海を描いた絵画もあり、その手前には巨大な矢印が地上に刻まれ、福島第一原発の方角を指している。 向こう側の通りには、制服姿の高校生たちや自転車で行き交う人の姿も見える。日常とアートが、一枚の絵のように風景のなかにあり、過去と現在、海と原発とコウノトリも共存している。そこから何を受け取るかは、訪れた人次第だろう。
私が目を止めずにいられなかったのは、中筋さんが定点観測的に撮影してきたという写真だった。普段は大きすぎて展示していないというその作品は、その日、床の上に何気なく置いてあった。巻物のように丸められた作品を広げると、横幅の全長が7.5メートルもある、ながーーい風景写真が現れた。
これは……。ちょっと待って、と胸がいっぱいになった。興奮で血が体のなかを駆け巡った。それは、私がずっと見てみたいと願い続けてきた風景そのものだった。
写っていたのは、浪江町の駅前にあった商店街である。一軒一軒のお店が、まるで今もそこにあるようにしっかりと継ぎ目なく並んでいた。
もう私たちはこの商店街を見ることはできない。ここに写る建物は、ほぼすべて解体されてしまった。チェルノブイリと異なり、福島の時間はフリーズしていない。人が還ってくるためにかつての建物は待ったなしで姿を消し、砂利で埋められた更地が続く新たな風景にとってかわった。
「大熊町もあるよ、見る?」と言って、中筋さんは次々と写真を床に広げて見せてくれた。彼がバリケードの向こう側で写してきた風景は、実際のところ、生気と色が抜けていてしまっている。震災の直後だったらリアリティが強すぎて、見ることが辛い現実だったかもしれない。しかし、すべてが消滅してしまった今となっては、写真はそこに生きていたひとたちの証である。その場所をリアルタイムで知らない私にすら、とても胸に迫る風景だった。中筋さんが「リアリティが強すぎる」と感じた写真というメディア。時を経れば、やはりリアリティが必要なタイミングが来るのだと思う。
「地元の人たちがこの写真を見ると、みんな話がとまらなくなるんだ。1時間でも話し続けるよ。このパン屋のUFOパンがおいしいんだ、もう一回食いてえ! とか、このあたりは不良の溜まり場でみんなタバコ吸ったんだよな、とか。いろんな思い出が蘇ってくるんだろうな。撮り始めたころは、僕も建物がこんなに早く次から次へと消えていくなんてことは想像できなかった。だから、いまになって馬場さんの『町の記録を撮っといてくれ』っていう意味がわかってきて。ひょっとしたらこうなるとことを見えていたんじゃないかな」
伝承って、そういうことなのかもしれない。あらかじめ整えられた話を聞くことだけではなく、何かをきっかけにほとばしった思いや、記憶の箱から飛び出してきたことを語る。それを誰かが聞く。それをまた別の形に誰かに伝える。
できれば、私もその1時間も続く話を聞いてみたいと思った。
「福島の人って、関西人と違って、言いたいことがあっても周りに気を遣って、なかなか言わねえんだ。それをマグマみたいに溜め込んでる。でも、ちょっと突いて小さな穴を作れば、シュワーっと言葉が出てくる。それこそが、ものすごい財産だと思う。被災した人、避難した人、いま家に帰れない何万人という人のひとりひとりに異なる想いがある。いま13年が経って、喋りたいことがたくさんあるはずだから、ここが少しでもその思いの受け皿になることができればいいなと思う」
福島県では、まだ県外に避難している人が3万人以上いる。
言葉にしないままに終わってしまう記憶や言葉はどこにいくのだろう?
ただ消えていくしかないのか?
私たちはもっともっと話しをすべきなんだ。きっと時間や機会はいくらあっても足りなくて、語り尽くすという日はこない。「時が止まったような」という表現があっても、実際のところ「時」を止めることはできず、冷酷なまでにすべてを押し流そうとしていく。だから、もっと語ろう。嬉しかったこと。美味しかったこと。辛かったこと。
その時にわかった。
私もまた「おれ」なのだと。
そして、あなたも「おれたち」だし、「おれたち」はあなたなのである。