被災地を撮る写真家のなかには、被災者にフォーカスする人もいるが、中筋さんが撮ろうと決めたのは、あくまでも風景だった。その後、警戒区域は放射線量をもとに「居住制限区域」や「帰還困難区域」などに再編される。それらの区域には、住民であろうとジャーナリストであろうと、入域には自治体による一時立入許可が必要である。フリーのカメラマンでも許可が得られるだろうかと申請してみると、当時の浪江町の町長、馬場有(たもつ)さんが許可を出してくれた。
「企画書を提出したら、一時立入許可の担当者から、町長に一筆書いてくれと頼まれて、その後、許可書をとりにいったら、担当者から『馬場町長に、街の記録をちゃんと撮っておいてくださいと言われてます』という言葉をもらったよ。馬場さんは、もともとは優しい雰囲気のひとだったのに、震災と原発事故に遭って、あの頃はもう無精髭ばーっと生やしてなんか戦う武者のような感じだった」
私も馬場さんの悲痛に満ちた表情をよく覚えている。原発事故の直後、住民を逃した先がたまたま放射線量の高いエリアで、そのことを悔やみ続けているという話をしていた。だから、話を聞きながら、そっか、あの馬場さんが……と思った。
許可証を手にした中筋さんは、バリケートの向こう側に入っていった。
人が消えた商店街。卒業式を終えたばかりの様子の学校。崩れ落ちそうになっている家屋。夜の桜並木。弾かれなくなったピアノ。増えていく黒いフレコンバック。
中筋さんは、後の著書のなかで、「気がつけば何度も同じ場所を訪れ、見つめるようになっていた」と書いている。
目に入るものの壮絶さに心が揺れて、がむしゃらにシャッターを押していたころもあったが、やがてその地を流れる時の流れに姿を任せて、その流れがもたらす移りゆく姿を静かに見つめて、流転する姿を映し出そうと思い始めた。(『コンセントの向こう側』小学館)
そうするうちに、自然が生み出す美しい音や光にも心が惹かれるようになったという。たくましく生い茂る草木、暗い空に浮かぶ満点の星、颯爽と通りを横切っていく獣たち、自由にわたっていく風。
「境界ってなんなんだろうって思うんだよね。人間だけなんだね、バリケードで止まるの。風はすうって抜けていくし、鳥は飛んでいく。タヌキはバリケードの隙間を抜けていく。俺ら人間だけがバリケードの前で止まるんだよ」