北のアルプ美術館は、煉瓦づくりの煙突が特徴のかわいらしい建物をしていた。
私が訪れた日は雪がちらつき、ヨーロッパのおとぎ話の世界に入りこんだみたい。入り口には、建物と同じデザインの電話ボックスがあり、受話器をあげたら別世界につながりそうだった。
ここは、『アルプ』という文芸雑誌から生まれた美術館である。
その名の通りに山をテーマにした雑誌で、昭和33年(1958年)から58年(1983年)にかけて25年間で300号が発刊され、多くの読者を魅了してきた。
私は趣味と仕事を兼ねて日本全国の様々な美術館をめぐってきたが、ひとつの雑誌から生まれた美術館というのはほかでは聞いたことがない。デジタル化社会で情報が猛スピードで流れては消えていく21世紀、終刊になって41年も経過する雑誌をテーマにした美術館が存在するなんてもはや奇跡じゃない?
「ようこそ、いらっしゃいました。寒いのでなかを温めておきました」
優しい笑顔で出迎えてくれたのは、館長の山崎ちづ子さん。後から詳しく書くが、現在70代のちづ子さんは、美術館の二代目の館長である。就任して約4年。初代館長は夫の山崎猛さんだった。
さきほど「小さい美術館」と書いたが、中に入ってみるとそう小さくもない。廊下を隔てていくつもの展示室に分かれており、ヨーロッパの邸宅美術館を彷彿とさせる。ひとつの展示室では『アルプ』の歴史、別の展示室では『アルプ』の挿絵を描いていた版画家・大谷一良さんの特別展が行われていた。大谷さんの作品は、青の色が独特の深さを持ち、1点ずつ見入ってしまう。廊下にもたくさんの山をテーマにした作品が飾られていて、どれも凛と研ぎ澄まされた感性の作品ばかりだ。想像していた以上に見応えのある美術館のようだ。
この美術館がオープンしたとき、哲学者の串田孫一さんはこんな言葉を寄せている。
"北海道の斜里の、この美術館のあるところから、病める地球が見事に癒されて行く爽やかな緑が、先ず人々の心に蘇り、ひろがっていくことを願っている"
話が前後してしまうが、雑誌『アルプ』の編集の中心になっていたのが、この串田孫一さんだ。『アルプ』は、山をテーマにした雑誌でありながら、登山のコース紹介や登山テクニックなど実用的な記事はなく、自然を愛する文学者や詩人、アーティストたちがエッセイや詩、絵画などを発表する文芸誌であり、思索の場であった。
この美術館を作った初代館長の山崎猛さんは『アルプ』の関係者ではなく、長年の愛読者のひとりだった。現在でいう究極の「推し活」なのかも。いや、むしろこの美術館自体が山崎猛さんと斜里の町が産んだ大きなアート作品とも言えそうだ。
さて、この美術館はどうやって生まれ、何を伝えてきたのか。
どこから書くのが良いのかと迷いつつ、まずは時間を巻き戻して、山崎猛さんの子ども時代の物語から始めてみたい。そこに、この美術館のルーツがあるようだ。