『アルプ』が届かなくなり、虚脱感を覚えていた猛さん。しかし情熱の炎が消えたわけではなかった。やがて、『アルプ』の精神を次世代に伝えたい、そのために自分で美術館を作るという構想を抱き始めた。考えつくのは簡単だが、実際に美術館を設立するというのは、大変なことである。建物も必要だし、展示する作品を集めるセンス、企画力、資金力も問われる。
「最初に相談したのは串田先生だったようです。美術館への理解を得られた……、というか山崎のことだから、いくら言ってもやめないだろうと思ったのかもしれません」
串田さんは、いち早くダンポール箱いっぱいの生原稿などを寄贈してくれた。
しかし、一部の作家からはすぐには理解を得られなかった。そこで猛さんは手紙を書き、その思いを伝え続けた。結果的には多くの作家やアーティストが原画や作品を寄贈してくれ、開館時には2000点の作品が集まった。また、あちこち探し回るうちに、斜里の町で美術館のイメージに合う建物も見つかった。それも簡単には売ってもらえず、何度も東京に出向いて交渉に当たった。
「山崎は、やると決めたらなにをもってしても実行する人です。もともとこの建物はある民間企業の寮だったのですが、山崎は私財を投じて買いあげると、外観や内装もすべて山崎自身の美的感覚をもとにデザインして作りあげました」(ちづ子さん)
猛さんはとにかく、何事も急がず、丁寧に、そして着実にものごとを進めるタイプの人だった。白樺を植え、ゲストハウスを整備し……と、要した準備期間は9年。
1992年、斜里の町に小さな美術館が生まれた。