こうして猛さんはちづ子さんという新たなパートナーを得た。ちづ子さんは、結婚後も竹細工の仕事や作品制作を続けるつもりで、猛さんも「なんでも好きなことを続けて欲しい」とアトリエを準備してくれた。しかし、美術館の運営はなかなか忙しく、あれこれと手伝っているうちに、自分の作品を作る時間はなくなってしまった、とちづ子さんはおかしそうに笑う。
2012年、美術館は開館20周年を迎える。そのとき、2005年に亡くなった串田孫一さんの仕事場を東京の小金井市から移設・公開している。本や望遠鏡、工具などで溢れた書斎「串田孫一の仕事部屋」も、この美術館の見どころのひとつである。この移築・復元事業も簡単ではなく、6、7年をかけて行われたそうだ。本棚や机の上の小物まで細かい部分まであまりにも精巧に復元されているので、この地で串田さんが仕事をしていたと勘違いする人もいるらしい。
「89歳で亡くなられた方なので、昔からの本がいっぱいあって。よく見ると、箱のなかに本をいっぱい入れていたんですが、そういった箱もほとんど手作りだったそうです。石でも木でも小物でも一度集めたらなかなか捨てない方だったようですね」
書斎公開のとき、串田さんの知人や家族、弟子たちが東京からきて、盛大な記念イベントが行われた。ここまで読んできた人ならわかると思うが、ひとつ終わると次、というように、猛さんにはいつも夢や構想があり、さまざまなことを語っていた。「私たちは、とてもおしゃべりな夫婦でした」と、ちづ子さんは言う。
しかし、2020年いくつかの急激な変化が美術館に訪れる。
新型コロナウィルス感染拡大が続き、美術館も休館することを決定。再開に向けてそれぞれの作業をして過ごしているうちに、猛さんが急性心不全のために急逝する。
「本当に、急な出来事でした」とちづ子さんは言う。「もともと山崎には自分に何かあったら美術館はやめていいよ、と言われていたのですが、どういうふうにしたら残していけるのかということを考え始めました」
その結果、運営体制を刷新し、個人運営から一般社団法人に移行。日常の運営業務は二代目の館長に就任したちづ子さん、そして受付事務として長年勤務してきた上美谷和代さんのふたりで行うが、他の理事や山崎の友人や知人たちもそれを支援し、大きな支えとなった。町の人たちも、美術館を使って朗読会や音楽会を開催し、美術館はいっそう町に開かれてきた。
おかげで、2022年には北のアルプ美術館は30周年を迎えることができた。記念冊子を出版し、展示スペースの一部リニューアルを行った。大きな力になってくれたのは、ボランティアや斜里町に住む若い人たちだった。
近くでカフェ「ヒミツキチこひつじ」を営む中山よしこさんは言う。
「アートとか美術館っていうのはちょっと敷居が高くて、町民にとってはどこか構えてしまうというのもあるんだけど、私は北のアルプ美術館の玄関に入ったときに感じる、ちょっと違う世界に入った時のピリッとする感じがすごく好きなんです。この小さな町にひとつでも美術館があるっていうことは、町民にとってすごい誇りだと思う」
プライベートの文化施設を運営していくことは大変なことだ。なかなか個人の力で背負えるものではない。人口一万人の小さな町にこの美術館があることは、この町の大きな財産だ。