神奈川県鎌倉市
およそ300年前。江戸にはさまざまな料亭があった。江戸料理は東京の郷土料理ともいえるもので、関西の京料理とは違う独自の発展をし、優れた食文化を培ってきた。しかし現在、江戸料理と呼べる料理はほとんどないと言っていい。いったいなぜ江戸料理は衰退していったのか。その歴史を紐解きながら、江戸料理のレシピを習った。
最寄りのICから【E16】横浜横須賀道路「朝比奈IC」を下車
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東京生まれ、東京育ち。都会慣れしていると言えば聞こえはいいかもしれないが、あるときふと、自分にはふるさとらしい思い出が欠けているのではと感じたことがある。
東京は、日本のなかでもっとも変化してきた土地だ。ふるくは関東大震災や空襲に見舞われ、なかば強制的に変わることを余儀なくされてきた。終わりのない都市開発もあって、実家に帰るたび街のようすが変わるのだから、東京にふるさとを感じられないのは当然だろう。
そのうえ東京には、郷土料理がない。江戸料理と名のつく料理があるにはあるのだが、東京出身の人がそれに思いを馳せるかといえばそうではないだろうし、いわゆる地方の郷土料理とは違う顔をしている。
それでも、東京のなにかを受け継いでいきたい。
SNSのなかで友だちが郷土料理を懐かしんでいる姿に羨ましさが募り、わたしは江戸料理について調べはじめた。
江戸というのは、現在皇居のある江戸城跡を中心にした、半径4キロほどの地域のことをいう。300年前、江戸料理はたしかにそこにあった。
小松菜や練馬大根、谷中しょうがなど、土地の名がついた江戸から続く地野菜も有名だが、やはり当時の食文化を支えたいちばんの食材は、新鮮な魚介だ。東京湾ではイワシやシラウオ、芝エビ、赤貝などが水揚げされ、江戸中期には「江戸の前の海で獲れた」という意味から、「江戸前」という言葉が誕生した。