さて、順番が前後してしまったが、続いては向付について紹介したい。
向付とは、懐石料理のなかで最初に出てくるおかずのことである。懐石は、炊き上がったばかりのごはんと汁物、そしてこの向付が膳に乗ったものからはじまる。ごはんと汁の向こう側に置くところから向付と名がつき、刺身やなますなど、生ものを入れる。
今回作ったのは、鰤を胡麻衣で和えたもの。寒鰤がそろそろ終わるという名残りの時期に作る江戸の惣菜で、にんじんの甘酢漬けを添えた。
「鰤はとにかく生ぐささのある魚なので、いかに生ぐささを取るかというのが調理のポイントです。ひとつには、鮮度のよい魚を使うこと。もうひとつには、少々濃いめのたれで食べることです。今回の胡麻衣には酒を多めに入れているのですが、料理酒ではなく、おいしく飲める日本酒で作るのが八百善流です」
ちなみに、江戸料理屋である八百善が鎌倉に越してきた理由のひとつには、この土地で買える魚の鮮度のよさがある。三浦や小田原、江ノ島、相模湾などから新鮮な魚介が集まり、事欠かないのだという。
胡麻衣には黒胡麻を使い、しっとりしてくるまで練ってから調味料と合わせる。ところで、胡麻を使う料理には利休という名がつくことがある。○○の利休焼きとか、利休揚げ、とか。千利休が胡麻好きだったからだと言われているが、真相は定かではない。
続いては、味つけは塩だけというけんちん汁。根菜ときのこ、豆腐、鶏肉を炒めてだしで煮るのだが、ここでも豆腐の使い方にひと工夫ある。
「汁のなかに豆腐をそのまま入れると水っぽくなり、味も薄くなってしまいますよね。豆腐の水気がおいしさを邪魔してしまうので、キッチンペーパーで包んで水切りし、塩茹でしてざるにあけておきます。この一手間が、雑味のないけんちんに仕上げるポイントです」