ただ、この豆腐田楽は、九代目が亡くなる前に十代目がレシピを受け継げなかった料理でもある。なにせ八百善のレシピは膨大にあり、そのすべてを実際に調理しながら伝承していくのは困難である。
特に九代目は早くに急逝したこともあり、水焼き豆腐田楽の作り方については、残っている資料や伝承してきたことから、十一代目が想像して再現したのだそうだ。
江戸時代のレシピ本が残っているといっても、今のように分量や調理工程が細かく書いてあるわけではないし、今とは調味料の味もまったく違う。同じように作るには、やはり人が人に手解きしながら伝えていかなければならないのだろう。
そう考えると、さまざまな地方に伝わる郷土料理の存在がいかに貴重なものかがわかる。誰かが子に作り、そしてその子がまた子に作り、作り方や味や、料理にまつわる思い出や風景を残していく。人と人が結びついているからこそなせることだ。
「八百善で提供していた豆腐田楽は、絹ごしの食感を保ちながら表面だけがこんがり焼けている。そういうものだったのではないかと思います。ただ、おっしゃるように柔らかくて扱いづらいので、焼き網の上でひっくり返したり、串に刺したりするのは大変です」
そこで考えたのが、豆腐の柔らかさが保てるよう、半分ほど水に浸したまま蒸し焼きにするという方法だ。これだと味噌を塗ったところだけに焼き色がついて香ばしくなり、田楽らしさがありながらも艶やかで柔らかい食感を保てる。
めずらしい方法だが、納得できる料理を作ることに妥協しない八百善らしいレシピである。
また、もうひとつこの料理の特筆すべきところは、味噌を二種類使っているところだ。江戸時代中期ごろまでは醤油が一般的でなく、代わりに味噌を使うことがとても多かった。味噌は地方によっても味が違うし、酢味噌や辛子味噌のように他のものを一緒に練りこともできる。味噌と一口に言っても、味つけのレパートリーは幅広かった。
今回はこんにゃくで作った田楽に、愛知県らしい赤味噌を使い、豆腐田楽の方には白味噌を塗った。紅白に仕上げるのが、一月らしい趣があっていい。