失われるのはなにも江戸時代のものだけではない。移り変わりが早く、使い捨てられ、壊され新しくなっていく街では、直近のものさえ残らない。ついこの間まで何かがあったはずの建物も、壊れてしまうともうなんの店だったか思い出せないのだ。
そんなことを考えながらあらためて今回のレシピを見返してみると、使う調味料は限られていて、手数もそう多くない。外国の料理と違って、見たこともない食材があるわけでもないし、味の想像がつかない料理でもない。
ただ、胡麻をすったり、こんにゃくを下茹でしてアク抜きしたり、蒸し器で蒸したり、それだけでなくその上にあんをかけたり、今の家庭で日々の献立に取り入れるには難しいと感じることもある。忙しい現代では、料理はおろか台所に立つことさえ大変になってきているのだ。
でも、こう考えてみたらどうだろう。
奮発しないと行けないような料亭の味も、作り方を覚えさえすればそれだけ手軽に食べることができる。普段からあれこれ手をかけるのは難しくても、ご馳走を用意したい日、少しゆとりがある日、誰かに食べさせたい日、労りたい日……、そういう日の一品に尽くすことくらいならできるかもしれない。
刺身で買ってきた鰤に、今日は醤油をかけるのではなく胡麻衣を作ってみよう。そんなふうにできたら、その一品があるだけでもきっと豊かな食卓になる。江戸の食文化が日常から消えてしまったとしても、その一端を知り、子どもたちに受け継いでいきたい。
『向付 胡麻鰤 人参甘酢 天山葵』
材料
鰤(刺身用サク)……15cmほど
黒胡麻……1カップ
みりん……大さじ1
酒……大さじ2
砂糖……大さじ1
人参……1/2本
甘酢……(酢1/2カップ・砂糖大さじ1/2・塩小さじ1/4)
わさび……適量
作り方
1. 鰤は、左側から切る。包丁を斜めに入れて分厚くスライスする。
2. 人参は柔らかくなるまで水から塩茹でして、甘酢に浸けておく。
3. 黒胡麻を粒がなくなるまで擦り、みりん、酒、砂糖を入れて練る。硬いようであれば、水を少し加えて鰤に絡めやすいようにする。
4. 3に鰤を絡めて器に盛り、甘酢人参とわさびを添える。