八百善が料理教室を定期的にはじめたのは、十一代目が初だ。それを、現在は引退している十代目が見守っている。十代目は現在の八百善について、「看板を守るだけでいい」と言う。
「料亭の姿は、昔とは大きく変わりました。江戸料理が今なくなってしまったのは、職人と言われた江戸料理を作る料理人が減ってしまったことにもありますし、江戸料理の需要が減り、調味料や素材が失われていったことにもあります」
十代目いわく、現代には江戸料理は存在しない。そうはっきり断言できるそうだ。伝承してやっている店はあれど、そのものが残っているわけではない。
「うなぎでも天ぷらでも、昔はそれだけを突き詰めて料理する職人がいました。ところが今は機械でうなぎが捌けるようになり、スーパーでも簡単に手に入る。そうなると職人が捌いて蒸して焼いた、手間のかかった高価なうなぎは特別な食べ物になってしまい、庶民には手が出なくなります。職人は働く場を失いました。そうして絶滅の危機になるほど食べてしまい、うなぎも消えようとしている」
ずっと手作りしてきたかまぼこの原材料も、今では手に入らなくなっているそうだ。
「かまぼこには『ぎす』という魚を使います。江戸料理屋は昔、みんなこの魚でかまぼこを自家製していたんですよ。でも、今ではそんな手間をかけて作る料理屋がなくなりましたし、そうなると魚屋も売らず、漁師は獲らなくなるんです」
また、さまざまな土地の文化が入ってきたことで、いわばそのときのトレンドに押され、そもそもあったものが失われてしまった例もある。
たとえば、江戸には江戸白という独特の甘い味噌があったが、これも今はたった数軒でしか作られていない。米麹の配合が多い味噌なので、戦時中の統制で作ることができなくなったのが大きな要因ではあるが、その後の復興のさなかで人々の食の好みが変わってしまい、江戸の食文化は失われていった。
「東京生まれ東京育ちっていうのはね、実はそんなに多くないんですよ。いろんなところからいろんな人が流れてきて、今の東京を作っている。江戸のものを伝承するルーツがそもそもない。八百善も、昔のままに店を出すのは難しくなりました。今は看板を守るだけでいいと十一代目に教え、日々丁寧に料理しています」