未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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わたしたちは誰もが芸術家なのか?

「黒板消し」から始まった小さな美術館がいま伝えたいこと

「カスヤの森現代美術館」

文= 川内有緒
写真= 川内有緒
未知の細道 No.113 |10 May 2018
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#5壊れたピアノ

約2000坪の広大な竹林も美術館に見どころ。散策路には羅漢像が置かれ、野外作品も展示されている。

 さて、この美術館のもうひとつの見どころは、ナム・ジュン・パイクの作品である。
 パイクは朝鮮戦争の戦禍を免れ、1950年に日本に移り住んだ韓国出身のアーティストだ。その後はドイツやアメリカで暮らしながら、テレビや衛星放送などメディアを用いた作品を作り、「メディア・アート」のパイオニアとなった。

 「パイクの作品はこちらです」と栄戽さんが案内してくれた先には、広い竹林と裏庭。その一隅に建てられた「新館」に、パイクの展示室があった。
 置かれているのは、壊れたピアノと二台のモニターで構成される作品である。

新館には、ナム・ジュン・パイクのほかに、宮脇愛子、李禹煥の常設展示室もある。

 二台のモニターには、古い映像が写っている。一台にはピアノを弾く男が写り、もう一台にはピアノを壊す男が写っている。壊されているピアノは、実際に私たちの目の前にあるこのピアノだ。
 この作品を若江夫妻が手に入れたのは、1986年のことだった。その年は国連の「平和年」で、神奈川県でも平和に関するイベントをしようと若江さんに相談が持ち込まれた。
「以前、ドイツのハンブルグで、アーティストがみんなで平和を考えるという『平和への対話展』という展覧会がありました。そこで、今回は同じように国内外のアーティストを集めて、神奈川県の大倉山記念館で平和を考える展示を企画することになりました」(栄戽さん)
 そこで若江さんがドイツから招聘したのが、ナム・ジュン・パイクだった。
「ピアノを用意しておいてください、と事前にパイクに頼まれました。たぶんパイクは、ピアノをバランバランに壊してしまうだろうと予想したので、ジャンク行きのピアノを用意しておいたのね。当日は、山下洋輔さん(ピアノ奏者)が入口階段のピロティでピアノを弾き、一方のパイクは館内ホールでピアノをバラバラに壊しました。そして、イベントの当日にはそれぞれの模様をモニターでつないで見せて、最終的にはこの作品ができあがりました」
 展覧会の終了後、パイクはその作品を企画者である若江さんにプレゼントした。
「その時はまだ私たちの美術館はなかったのだけど、美術館ができた時には、この作品をメインの場所に置こうと思って、ずっと大切にしまっておいたのです」

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未知の細道 No.113

川内 有緒

日本大学芸術学部卒、ジョージタウン大学にて修士号を取得。
コンサルティング会社やシンクタンクに勤務し、中南米社会の研究にいそしむ。その合間に南米やアジアの少数民族や辺境の地への旅の記録を、雑誌や機内誌に発表。2004年からフランス・パリの国際機関に5年半勤務したあと、フリーランスに。現在は東京を拠点に、おもしろいモノや人を探して旅を続ける。書籍、コラムやルポを書くかたわら、イベントの企画やアートスペース「山小屋」も運営。著書に、パリで働く日本人の人生を追ったノンフィクション、『パリでメシを食う。』『バウルを探して〜地球の片隅に伝わる秘密の歌〜』(幻冬舎)がある。「空をゆく巨人」で第16回開高健ノンフィクション賞受賞。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。