さて、この美術館のもうひとつの見どころは、ナム・ジュン・パイクの作品である。
パイクは朝鮮戦争の戦禍を免れ、1950年に日本に移り住んだ韓国出身のアーティストだ。その後はドイツやアメリカで暮らしながら、テレビや衛星放送などメディアを用いた作品を作り、「メディア・アート」のパイオニアとなった。
「パイクの作品はこちらです」と栄戽さんが案内してくれた先には、広い竹林と裏庭。その一隅に建てられた「新館」に、パイクの展示室があった。
置かれているのは、壊れたピアノと二台のモニターで構成される作品である。
二台のモニターには、古い映像が写っている。一台にはピアノを弾く男が写り、もう一台にはピアノを壊す男が写っている。壊されているピアノは、実際に私たちの目の前にあるこのピアノだ。
この作品を若江夫妻が手に入れたのは、1986年のことだった。その年は国連の「平和年」で、神奈川県でも平和に関するイベントをしようと若江さんに相談が持ち込まれた。
「以前、ドイツのハンブルグで、アーティストがみんなで平和を考えるという『平和への対話展』という展覧会がありました。そこで、今回は同じように国内外のアーティストを集めて、神奈川県の大倉山記念館で平和を考える展示を企画することになりました」(栄戽さん)
そこで若江さんがドイツから招聘したのが、ナム・ジュン・パイクだった。
「ピアノを用意しておいてください、と事前にパイクに頼まれました。たぶんパイクは、ピアノをバランバランに壊してしまうだろうと予想したので、ジャンク行きのピアノを用意しておいたのね。当日は、山下洋輔さん(ピアノ奏者)が入口階段のピロティでピアノを弾き、一方のパイクは館内ホールでピアノをバラバラに壊しました。そして、イベントの当日にはそれぞれの模様をモニターでつないで見せて、最終的にはこの作品ができあがりました」
展覧会の終了後、パイクはその作品を企画者である若江さんにプレゼントした。
「その時はまだ私たちの美術館はなかったのだけど、美術館ができた時には、この作品をメインの場所に置こうと思って、ずっと大切にしまっておいたのです」
川内 有緒