栄戽さんは、美術館内の一角にあるヨーゼフ・ボイスの常設展示室に案内してくれた。いよいよ、本物のボイスの作品との初対面である。
展示室には、銅板、石鹸、紙幣、鉄の板、瓶、ファイリング用紙など、一見すると雑多な日用品がショーケースのなかで並んでいた。
そのうちのひとつを指差しながら、「最初はこの黒板消しでした」と栄戽さんはなつかしそうに語り始めた。
黒板消しですか!
サインがしてあること以外は、なんの変哲もないごく普通の黒板消しである。これが、ふたりが手に入れた最初のコレクション作品だったそうだ。
「自分たちができるところからやろうということで、手持ちのお金で変える唯一のものでした」
購入した場所は、スイスの歴史あるアートフェア、メッセ・バーゼル。さぞかし高額だったにちがいないと勝手に想像していると、「5000円くらいだった」と若江さんが言うので驚いた。
わあ、5000円ですか!
それから夫妻はヨーゼフ・ボイスの作品を未来のコレクションの「柱」と決め、コツコツと作品を買い集めた。
「だいたい2、3万円のものが多いかな。ボイスは、すべての人が芸術作品を持てるようにと作品をいっぱい作ったので、当時は値段もさほど高くなかった」
そんな話を聞きながら、私はなんだか不思議な気持ちになってしまった。
なぜなら、どれもこれも商店などで売っている日用品なのだ。そういう普通の品が、アーティストの手にかかると「作品」になる(現代美術の世界ではレディ・メイドと言われるジャンルだ)。
うん、確かに、これならば私でもアーティストになれそうだな……。
などと、一瞬は思うわけだが、そう簡単な話でもなさそうだ。
例えば、もし私がボイスと同じように日用品にサインをして、「この黒板消しは作品です、買ってください」と言い張ったところで、誰にも見向きもされないだろう。そこがまたアートのおもしろいところである。どんな人が、どんな考えで作ったのか、でその価値は大きく変わるのだ。
「よくね、『こんなの俺でも作れる』とか言われるんだけど、そんなことはない」と若江さんも言う。「ボイスの生き方や、考え方、長く培ってきた作品の数々が背景にあるからこそ、そこには価値が出るんです」
それぞれの作品には、アーティストの生き様や哲学がぎゅっと閉じ込められている。その見えない部分にこそ、本当の価値がある。
黒板消しは、ある意味で黒板消しではない。
黒板消しが象徴する作家の哲学が見えた瞬間に、作品は全く異なる光を放ち始める。その光は、彩色溢れる絵画が放つような直接的な明るさとは、まったく違う種類の光だろう。言うなれば、私たちのひとりひとりの思考の奥を照らしてくれる、そういう種類の光だ。
川内 有緒