未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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私の前に道はない。ただ草があるだけ!

野草屋さんの“つちころび八起き”な人生

文= 川内有緒
写真= 川内有緒
未知の細道 No.112 |25 April 2018
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#4魔女のアトリエ

奥に見えている一軒家が、「摘み草の店 つちころび」。眺めの良い敷地に立っている。

 こうして、3種の野草を摘み終わった私たちは、舞子さんのお店「摘み草の店 つちころび」に向かった。
 お店の庭には、色とりどりの花が咲き乱れ、遠くには山々も見え、そして谷に向かってひらけた土地は、どこか南仏のようだ。そして、お店の中に入ると私は、「うわあ、すごいですね」と感激の声をあげた。
 お店というよりも、中世の魔女のアトリエみたい……! 
 午後の光が降り注ぐ部屋には大きな茶箱がぎっしりと積み上がり、戸棚の中には乾燥した薬草が入った瓶やチンキ(薬草をホワイトリカーにつけたもの)がずらりと並ぶ。床の上のカゴの上ではみかんの皮を乾燥させていた。
「あのたくさんの茶箱にはなにがはいっているんですか?」
「乾燥した草が入ってます。もともと私は、乾物に加工することが得意だったんです。昔から趣味で干し柿を作ったりもしてました」
 そう言いながら、舞子さんは自分で摘み、乾燥させたカキドオシでお茶を淹れてくれた。初めて飲んだカキドオシ茶は、ミントのようなスッと爽やかな味だった。

 現在35歳になる舞子さんは、東京のごく普通のサラリーマンの家庭に生まれた。
 もともと、太陽の下で過ごすのが好きな女の子で、物心がついたときには植物や生物の仕組みに興味を持っていた。
「小さい頃、家の周りには空き地があって、そこに捨てられたかぼちゃから芽が生えているのを見つけて、雄しべと雌しべを受粉させて観察したりしていました。あとは、お小遣いでアジ(魚)を買ってきて鱗を観察したり。わあ、鱗って綺麗だなあって。あとは、『真珠をマヨネーズから作る』とかいって、なんか訳のわかんないことしたりしてましたね。いま思うと相当ヘンな子だっただろうなあと思います」
 両親は、そんな舞子さんの独自の活動を温かく見守っていたという。

 ユニークな子どもだった舞子さんは、15歳にしてすでに農業の道を志し、土とともに生きる決心を固めていた。彼女を突き動かしたのは、東京の街で目にしていた大人たちの暗い表情だった。
「毎日、満員電車に揺られて、中学、高校と女子校に通ってたんですよ。それで、痴漢にあったり、電車の中で疲れている人たちを見て、こんなところに未来はないなと感じるようになりました。東京を抜け出すのはどうしたらいいのかなと考え始めました」
 時代は90年代の終わりで、終わりなき不況の真っ最中。それを冷静に見つめた15歳が行き着いた結論は、「生きるのに必要なのはお金ではなく、食べ物ということでした」。
「東京ではお金がないと水も買えないし、遊ぶこともできない。でもお金じゃない世界が何万年も続いていたはずじゃないか。お金がなくても、食べ物を確保するのが最重要なことで、食いっぱぐれない生き方をできればいい」
 そう考えた舞子さんは、東京農業大学に進んだ。

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未知の細道 No.112

川内 有緒

日本大学芸術学部卒、ジョージタウン大学にて修士号を取得。
コンサルティング会社やシンクタンクに勤務し、中南米社会の研究にいそしむ。その合間に南米やアジアの少数民族や辺境の地への旅の記録を、雑誌や機内誌に発表。2004年からフランス・パリの国際機関に5年半勤務したあと、フリーランスに。現在は東京を拠点に、おもしろいモノや人を探して旅を続ける。書籍、コラムやルポを書くかたわら、イベントの企画やアートスペース「山小屋」も運営。著書に、パリで働く日本人の人生を追ったノンフィクション、『パリでメシを食う。』『バウルを探して〜地球の片隅に伝わる秘密の歌〜』(幻冬舎)がある。「空をゆく巨人」で第16回開高健ノンフィクション賞受賞。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。