未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
110

神奈川県横浜市

モダンな町として人々を魅了する横浜には、実は「花街」としての過去がある。かつては海沿いに料亭が立ち並び、芸者たちが町中を闊歩していたが、時代の流れとともに料亭が減少、芸者も姿を消したという。そんな横浜芸者が20年ぶりに復活! 知られざる花街としての歴史を遡るとともに、復活にかける思いを聞いた。

文= ウィルソン麻菜
写真= ウィルソン麻菜
未知の細道 No.110 |25 March 2018
  • 名人
  • 伝説
  • 挑戦者
  • 穴場
神奈川県横浜市

最寄りのICから【K2】首都高速神奈川2号三ツ沢線「横浜駅西口」を下車

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#1あの「横浜」に芸者?

昔は花街として栄えたというのが、今や信じられない横浜。

「芸者さんに会いに行ってくる」

 そう言うと、人々は私が京都か浅草に行くと思うだろう。しかし私が降り立ったのは、みんなの知っているあの横浜。ショッピングセンターや飲食店でいっぱいのこの町と芸者のイメージはどうしてもつながらないが、実はおよそ60年前の昭和30年代、横浜には600名を超える芸者がいた。海沿いの高台には料亭が立ち並び、そこに通う芸者たちの姿が当時の「横浜」であった。文明開化を受け入れた横浜らしく、モダンと和が混ざり合う横浜芸者の出入りする料亭には、大企業の社長、政治家、詩人や文豪までが通ったという。

 そんなに栄えた横浜芸者だが、なんと20年前を最後に途絶えてしまう。工業地帯としての発展と、風情を楽しむ花街の共存は難しかった。海は埋め立てられ、海沿いの料亭が次々と姿を消していき、芸者も同じく姿を消した……はずだった。

 そう、私が今回、会いに来た芸者さんは20年の時を経て復活した横浜芸者だ。昨年4月に横浜芸者としてお披露目、その後8月に発足したという「横浜芸妓組合」を訪ねた。

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未知の細道 No.110

ウィルソン麻菜

1990年東京都生まれ。学生時代に国際協力を専攻し、児童労働撤廃を掲げるNPO法人での啓発担当インターンとしてワークショップなどを担当。アメリカ留学、インド一人旅などを経験したのち就職。製造業の会社で、日本のものづくりにこだわりを持つ職人の姿勢に感動する。「買う人が、もっと作る人に思いを寄せる世の中にしたい」と考え、現在は野菜販売の仕事をしながら作り手にインタビューをして発信している。刺繍と着物、野菜、そしてインドが好き。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。