未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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20年の時を経て蘇った!

横浜芸者、復活への道

文= ウィルソン麻菜
写真= ウィルソン麻菜
未知の細道 No.110 |25 March 2018
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#2横浜芸者の復活に向けて

昨年復活した横浜芸者の3人「横浜芸妓組合」

 高台にある稽古場に近づくと、横浜の風に乗ってかすかに三味線の音が聞こえてくる。稽古中だった「横浜芸妓組合」の富久丸(ふくまる)さん、香太郎(こたろう)さん、そして富久駒(ふくこま)さんが出迎えてくれた。「芸者の世界」を経験したことのない私は、着物姿の女性たちを前にすっかり緊張してしまっていたのだが、稽古場に入った瞬間その和やかな雰囲気に驚いた。

「もちろんお仕事やお稽古中は注意や厳しい事を言うかもしれませんが、普段はお互い気を遣い合って楽しくやっています」と代表の富久丸さんは笑った。

 東京で芸者をしていた富久丸さんは、横浜への引っ越しを機にその経験を活かして文久3年(1863年)から横浜に残る料亭「田中家」の専属芸者として活動し始めた。かつて横浜に芸者がいたことは知っていたが、田中家や横浜の人々からその話を身近に聞くにつれて、栄えていた横浜芸者が途絶えてしまったことをもったいないと感じたという。

佇まいから美しい富久丸さんが、横浜芸者復活への道を切り開いた。

「まさか自分が横浜芸者になるとは思っていませんでした。田中家さんや周りの方々に支えていただき、改めて横浜芸者を復活させたいという思いが強くなりましたね。でも横浜で芸者をやっていたという人に全然会えないんです。もうご年配になられてお話を伺えなかったりすることもあって。田中家の女将からお話を聞いたり、資料を読んだりして必死で情報を集めています」

 富久丸さんが復活させたもののひとつが、『濱自慢』という横浜復興小唄。1923年の関東大震災のときに壊滅状態だった横浜を元気づけようと、原三渓氏が作詞した横浜をテーマにした唄だ。当時この唄を芸者衆が唄い踊り、横浜に広がっていったという。富久丸さんは歌詞しか残っていなかった『濱自慢』の原曲をなんとか見つけ、三味線で音を拾って再現した。

「全盛期の頃は『浜をどり』という、芸者衆が大勢集まって踊るイベントもあったようなんです。いつかはそれも復活させたいですね」

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未知の細道 No.110

ウィルソン麻菜

1990年東京都生まれ。学生時代に国際協力を専攻し、児童労働撤廃を掲げるNPO法人での啓発担当インターンとしてワークショップなどを担当。アメリカ留学、インド一人旅などを経験したのち就職。製造業の会社で、日本のものづくりにこだわりを持つ職人の姿勢に感動する。「買う人が、もっと作る人に思いを寄せる世の中にしたい」と考え、現在は野菜販売の仕事をしながら作り手にインタビューをして発信している。刺繍と着物、野菜、そしてインドが好き。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
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