高台にある稽古場に近づくと、横浜の風に乗ってかすかに三味線の音が聞こえてくる。稽古中だった「横浜芸妓組合」の富久丸(ふくまる)さん、香太郎(こたろう)さん、そして富久駒(ふくこま)さんが出迎えてくれた。「芸者の世界」を経験したことのない私は、着物姿の女性たちを前にすっかり緊張してしまっていたのだが、稽古場に入った瞬間その和やかな雰囲気に驚いた。
「もちろんお仕事やお稽古中は注意や厳しい事を言うかもしれませんが、普段はお互い気を遣い合って楽しくやっています」と代表の富久丸さんは笑った。
東京で芸者をしていた富久丸さんは、横浜への引っ越しを機にその経験を活かして文久3年(1863年)から横浜に残る料亭「田中家」の専属芸者として活動し始めた。かつて横浜に芸者がいたことは知っていたが、田中家や横浜の人々からその話を身近に聞くにつれて、栄えていた横浜芸者が途絶えてしまったことをもったいないと感じたという。
「まさか自分が横浜芸者になるとは思っていませんでした。田中家さんや周りの方々に支えていただき、改めて横浜芸者を復活させたいという思いが強くなりましたね。でも横浜で芸者をやっていたという人に全然会えないんです。もうご年配になられてお話を伺えなかったりすることもあって。田中家の女将からお話を聞いたり、資料を読んだりして必死で情報を集めています」
富久丸さんが復活させたもののひとつが、『濱自慢』という横浜復興小唄。1923年の関東大震災のときに壊滅状態だった横浜を元気づけようと、原三渓氏が作詞した横浜をテーマにした唄だ。当時この唄を芸者衆が唄い踊り、横浜に広がっていったという。富久丸さんは歌詞しか残っていなかった『濱自慢』の原曲をなんとか見つけ、三味線で音を拾って再現した。
「全盛期の頃は『浜をどり』という、芸者衆が大勢集まって踊るイベントもあったようなんです。いつかはそれも復活させたいですね」
ウィルソン麻菜