富久駒さんが芸者を目指すことに、家族は反対していたという。同じものでも可愛らしい舞妓さんに比べて、芸者は男性の隣に座ってお酌するという風俗的なイメージもあったからだ。花街として芸者が有名な京都などではなく、横浜で芸者をするということに対する不安もあったようだ。
「最初は『芸者になってどうするの』と言われましたが、やってみなきゃわからないという気持ちが強かったんです。がんばっている姿を見てもらえば変わると信じてやっていました」
反対されながらも稽古を続け、SNSなどで稽古の様子やお座敷デビューについて書き続けていた富久駒さん。その様子を見て、今では家族も応援してくれているそう。芸者の世界に足を踏み入れてから、辛いことや後悔したことはないのだろうか。
「まだ始めてから1年も経っていないので、壁にすら当たっていないという感じがするんです。お作法も踊りも、今はまだ注意されてもしょうがないんだよってお姐さん方はおっしゃってくださいますが、ずっとこれではいけないなと思っています。教わったことをしっかりと覚えて、恩返ししていきたいです」
お姐さんとの関係、季節の挨拶やマナーなど、小さなことでも学べるのがとにかく楽しい、と富久駒さんは言う。「私の年齢では知らないようなことがたくさんでおもしろいです」という富久駒さんは、不安よりも将来を見ていて眩しかった。
「ずっと仲居さんをやっていくのかなと思っていたので、まさか自分が芸者の世界に入るなんて、という感じなんです。富久丸お姐さんに出会って、本当に人生が変わってしまったような感じですね」
香太郎さんも富久駒さんも、富久丸さんの人柄や横浜芸者に対する想いに共感して集まった人ばかりだ。人徳ですね、と言うと「もう辞められないですね」と富久丸さんは嬉しそうに笑った。
ウィルソン麻菜