未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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20年の時を経て蘇った!

横浜芸者、復活への道

文= ウィルソン麻菜
写真= ウィルソン麻菜
未知の細道 No.110 |25 March 2018
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#5期待の新人の輝き

若いエネルギー溢れる新人、富久駒さん。

 富久駒さんが芸者を目指すことに、家族は反対していたという。同じものでも可愛らしい舞妓さんに比べて、芸者は男性の隣に座ってお酌するという風俗的なイメージもあったからだ。花街として芸者が有名な京都などではなく、横浜で芸者をするということに対する不安もあったようだ。

「最初は『芸者になってどうするの』と言われましたが、やってみなきゃわからないという気持ちが強かったんです。がんばっている姿を見てもらえば変わると信じてやっていました」

 反対されながらも稽古を続け、SNSなどで稽古の様子やお座敷デビューについて書き続けていた富久駒さん。その様子を見て、今では家族も応援してくれているそう。芸者の世界に足を踏み入れてから、辛いことや後悔したことはないのだろうか。

着物や芸者、踊りの話をしているだけで楽しそう。

「まだ始めてから1年も経っていないので、壁にすら当たっていないという感じがするんです。お作法も踊りも、今はまだ注意されてもしょうがないんだよってお姐さん方はおっしゃってくださいますが、ずっとこれではいけないなと思っています。教わったことをしっかりと覚えて、恩返ししていきたいです」

 お姐さんとの関係、季節の挨拶やマナーなど、小さなことでも学べるのがとにかく楽しい、と富久駒さんは言う。「私の年齢では知らないようなことがたくさんでおもしろいです」という富久駒さんは、不安よりも将来を見ていて眩しかった。

「ずっと仲居さんをやっていくのかなと思っていたので、まさか自分が芸者の世界に入るなんて、という感じなんです。富久丸お姐さんに出会って、本当に人生が変わってしまったような感じですね」

 香太郎さんも富久駒さんも、富久丸さんの人柄や横浜芸者に対する想いに共感して集まった人ばかりだ。人徳ですね、と言うと「もう辞められないですね」と富久丸さんは嬉しそうに笑った。

新人を見る富久丸さんの目線は優しい。
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未知の細道 No.110

ウィルソン麻菜

1990年東京都生まれ。学生時代に国際協力を専攻し、児童労働撤廃を掲げるNPO法人での啓発担当インターンとしてワークショップなどを担当。アメリカ留学、インド一人旅などを経験したのち就職。製造業の会社で、日本のものづくりにこだわりを持つ職人の姿勢に感動する。「買う人が、もっと作る人に思いを寄せる世の中にしたい」と考え、現在は野菜販売の仕事をしながら作り手にインタビューをして発信している。刺繍と着物、野菜、そしてインドが好き。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
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