後日、実際に富久丸さんが田中家で三味線を弾く機会があるというのでお邪魔させていただいた。先述したように、田中家は文久3年(1863年)から150年以上続く老舗の料亭で坂本龍馬の妻、おりょうが仲居として働いていたこともあるという歴史を持つ。
長く続く階段を登る田中家のある場所は、埋め立て前は海沿いの崖の上だった。この海沿いには昔、50軒もの料亭が軒を連ねていたという。窓からは絶景の海が見え、庭に松がはえる田中家は当時から風情のある人気料亭だったのだろう。
友人の誕生日祝いの席としてお座敷に呼ばれた富久丸さんは、三味線で6曲の歌を披露した。一棹の三味線と一人の芸者さんで、こんなにも食事の席が華やかになるのかと思うほど歌声は伸びやかで三味線の音は部屋中に響いた。
ひとつひとつの歌の紹介はもちろんのこと、横浜芸者の歴史や三味線の構造まで、富久丸さんはお客さんと会話をしながら進めていく。
「三味線の種類によって皮も違ってきまして、こちらは猫の皮を使っております。昔は横浜でも、野良猫が気付くといなくなっていたこともあったそうで……」
そんな普段は聞けない話に、思わずお客さんも食べる手を止めて質問していた。時にはこうやって話をしながら、そして時にはBGMのように食事を楽しんでもらいながら。芸者はただ単に決められたプログラムに沿って進めるのではなく、そのときのお客さんや雰囲気に合わせて臨機応変に場を盛り上げていく。その姿はまさに「おもてなしのプロ」だった。
ウィルソン麻菜