未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
105

遊覧船の船頭唄を聴きながら

巴波川沿いに歩く栃木の蔵の街

文= ウィルソン麻菜
写真= ウィルソン麻菜
未知の細道 No.105 |10 January 2018
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#8今も昔も流れ続ける川

瓦がきれいにならぶ縦長の蔵。

 油伝の奥様が蔵の中を案内してくれた。ここの蔵も入り口からは想像もつかないほど、奥行きがある造りだ。そして蔵の外に出ると、長く続く蔵の脇に続く小道に辿り着いた。

「ここは、瓦の小路と呼んでいます」

 蔵にばかり目を奪われていたが、奥様に言われて下を見ると地面に瓦で川が描かれていた。ひとつひとつ、丁寧に並べられ、波打った瓦の形を利用して川の流れを再現している。

「蔵の瓦を新しくしたときに、職人さんたちが『捨ててしまったらそれまでだから』って。外した瓦で少しずつ、川を作ってくれたんです」

 なんて粋なはからいなんだろう。何十枚という瓦が捨てられることなく、瓦の小路として生まれ変わっているのは、見ているだけで蔵や瓦を思う気持ちが感じられた。大きな鯉が泳ぐ瓦の小路は、まさに私が舟で渡った巴波川だった。

外した瓦で作られた「瓦の小路」

 小路を抜けて、油伝味噌を出ると、もう日が傾き始めていた。右に真っ直ぐいけば新栃木の駅があると教わっていたが、なんだかもう一度、巴波川の水の音が聞いておきたくて、反対方向に歩き出した。

 遊覧船乗り場からは、だいぶ離れてしまったのでもう船頭唄は聞こえてこない。それでも川辺に座って、パシャパシャという川の音を聞いていると心が落ち着いた。遠くに見える白い鳥は、サギの仲間だろうか。

「この巴波川があったから、この街は発展した」

 今日出会った人々の口から必ず聞いたこの言葉。街を歩いてみてわかったのは川の存在が当たり前となった今でも、栃木市の人々はこの巴波川に感謝しているということ。

 この川は、私が生まれる何百年、いや何千年も前から流れている。たくさんの荷物や食料を運んできて栃木市に富を運び、今では遊覧船で人々と歌声を運ぶ。きっとこれからも、この街とともに長い歴史を作っていくのだろう。

街の中心を流れる巴波川はどこまでも続く。
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未知の細道 No.105

ウィルソン麻菜

1990年東京都生まれ。学生時代に国際協力を専攻し、児童労働撤廃を掲げるNPO法人での啓発担当インターンとしてワークショップなどを担当。アメリカ留学、インド一人旅などを経験したのち就職。製造業の会社で、日本のものづくりにこだわりを持つ職人の姿勢に感動する。「買う人が、もっと作る人に思いを寄せる世の中にしたい」と考え、現在は野菜販売の仕事をしながら作り手にインタビューをして発信している。刺繍と着物、野菜、そしてインドが好き。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
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