私が遊覧船に乗りたくて、栃木市に降り立ったのはその日の朝。東京から日光に向かう人々に混じって、電車に揺られること1時間半。栃木駅に到着した。
栃木市内の中央を流れる巴波川が、今回の旅の目当てだ。栃木市は江戸時代から、この巴波川で江戸や日光をつなぎ、物資輸送の流通によって商人の街として発展した。江戸時代初期、1617年(元和3年)に徳川家康の霊柩を久能山から日光山へ改葬する際に、荷物などを陸揚げしたのがはじまりだと言われている。
そのため栃木市は「蔵の街」としても発展した。舟で運んできた食料や木材の保管庫としての蔵や、店舗や住居を兼ねた見世蔵と呼ばれるものが、今も街中には残っている。
しかし実際のところ、巴波川に辿り着くまで蔵らしい建物は見かけなかった。少し古い雰囲気の商店街や神社などを通り過ぎながら、「蔵の街」と呼ばれることになった街並みを必死に探した。
川沿いに出ると、ようやく蔵造りの建物が見えてきた。そして川を渡る遊覧船。先程までとは雰囲気の違う、なんとも穏やかな風情のある光景だ。
すぐそばに「蔵の街遊覧船待合処」が見えたので入ってみると、笠を被った元気な船頭さん、小林さんと女性船頭の大川さんが出迎えてくれた。冒頭で触れたお二人は船頭の同期だという。小林さんにすすめられ、貸出用の笠とひざ掛けを手に早速舟に乗り込む。
「舟が出るぞー!」
小林さんが声を張り上げると、大川さんや周りのスタッフも声をあげる。私も負けじと「おー!」と声を上げ、無事に舟は出発した。声が小さいとやり直しさせられるらしい。
舟はのんびりと進む。小林さんは舟の端で、長い棒のようなものを使って舟を漕ぐ。「この川沿いの蔵は1200坪くらいあります。私の家くらいの広さですね」なんて冗談を交えながら、街の歴史や蔵の作りについて話してくれる。
「この街には200から300くらいの蔵が残っています。でも街全体にポツンポツンとばらけているから、川越みたいに蔵のエリアみたいなものがあるわけじゃないんです」
確かに「蔵の街」と聞いて、私が想像していたのは川越のような蔵だらけの街並みだった。それならここまで蔵を見かけなかったのも納得できる。
そして最後に橋をくぐるとき、小林さんは舟を止め「栃木河岸船頭唄」を歌い出す。橋の下の反響を利用して、高らかに歌い上げる船頭唄はなんとなく懐かしいメロディーだ。この船頭唄は、昭和30年代にある蔵から出てきた歌詞に後からメロディーをつけたものだそう。
江戸時代の川の上でも、船頭たちがこの歌を歌ってきたのだろうか。そんな風に数百年前に思いを馳せながら、小林さんの唄を聴いていた。
ウィルソン麻菜