さて、広い農場の一角にある作業場につれていってもらった。そこで取れたてのハーブや野菜をパッキングするのだ。ハーブと野菜を使ったピクルス作りも行っている。たくさんのスタッフの中で目につくのは、スカーフをかぶった若い外国人の女の子たち。よく見ると外国人の青年もいる。
実は彼らはみなインドネシアの幾つかの国立大学から留学している研修生なのだった。いわゆる行政の外国人研修制度と違い、シモタファームではインドネシアの国立大学と直接、留学制度を作っている。だから霜多さんは彼らの大学での4単位を預かっているのだ。学生たちはここで一年間、しっかり勉強し、母国に帰ってからは大学に残って研究したり、農業普及施設の指導員になったりするのだという。
みんな優秀ないい子達だよ、でも俺は厳しいから、なかなか満点はあげないけどね、と霜多さんはいった。ちなみに霜多さん、ハワイの大学に請われて、一年間毎月一度、農業の講義をしたこともあるそうだ。
先ほど事務所にハーブティを持ってきてくれたリアさんは、元研修生で、一緒に研修していた男子学生と結婚して、再び来日し、いまでは夫婦で、日本人スタッフと混じってシモタファームの正社員として働いている。
留学生が夫婦で戻って正社員となり、いまでは部門のリーダーとして働いているなんて、すごく国際的な農業法人なんですね、と私がびっくりしていうと、そうだねえ、でも、それより二人が付き合ってることを知ったときのほうが、びっくりしたけどねえ、と霜多さんはおかしそうに笑うのだった。
作業場で留学生たちに「ママ、ママ」と呼ばれている女性がいた。霜多さんの奥さん、由子さんだ。キビキビと働いて、研修生たちにテキパキと指示を出している。
この子達は俺より女房のことを信頼してるからね、と霜多さんが言うとおり、作業場では由子さんが中心のようだった。(ちなみに霜多さんはみんなから「社長」と呼ばれている。当たり前だけど。)なんというか由子さんのイメージは、農家のお父さんを支えるお母さんというよりも、お母さんも社長で、ここは二人社長体制、ていう感じだ。
そう言うと由子さんはニコッと笑って、実はそうなんだよー、以前は会社を二つにしていて、私が一つは任されていたから、というではないか。
もともと市場開拓や営業、肥料(このことは後ほど詳しく語る)は霜多さんの仕事、作付けや収穫、管理は由子さんの仕事、というふうに仕事を分けていたのだという。それに霜多さんは毎年長期でヨーロッパに行って、家を空けることも多い。その時は由子さんが築地までトラックを運転して出荷していたのだという。
お互いで仕事を持っていれば、一方が見落としているところを一方が気づくことができる、と由子さんはビシっという。かっこいい仕事人の発言である。
「俺の補佐どころか、俺が女房の補佐をしてることがいっぱいあるんだよー、ま、二人合わせて一人前ってとこだな」と霜多さんは頭をかいていた。
そんなやり手の由子さんだが、休みの日には研修生達を観光地につれて行くなど、彼らが日本にいる間に、できるだけ、いろいろな経験をさせてあげるようにしている。文字通り、由子さんは留学生達の日本の「ママ」なのであった。
松本美枝子